日清戦争での、日本の胸のすくような活躍に心が躍った。<P>硬直化した官僚組織の脆弱さ、小国ながらも、ようやく文明社会の一員として勢いよく成長をはじめた組織の強さというものが明瞭に表現されている。<P>この硬直ということはすべての成熟した組織に当てはまるもので、私もある大手銀行に勤めている身であり、痛く感じるところがあった。組織の硬直化ということでは、国も企業も関係ないものだと思う。<P>そして、海軍参謀真之が誕生するまでの成長振り、、、子規の晩年、、、明治男の愚直な眩しいまでの誠実さにことごとく心を奪われた。その後の世界大戦との大きな違いをまざまざと感じさせてくれた。歴史の教科書だけでは学ぶことのできない、重要な史実であると思う。<P>本当に素晴らしい作品です。先が楽しみ。<P>~日本の学校でもこういうものを教えてあげればいいのになあ、まず勉強が楽しくなるような気がするのですが、、、
日清戦争が始まる。従軍記者として参加した子規もすでに病にかかっており、病人の兵士が搬送されるように帰国し、病臥の中、有名な文学活動を行うが、やがて夭折する。<P>日清戦争はアジアに進出している列強と互角に日本のポジションを確保するための局地戦で困難は比較的少なく勝利に終わった。<P>この勝利は逆に列強にとっての日本という小国の小さな脅威を示す結果ともなり、日露戦争への伏線となっていく。<P>司馬さんのロシアという国の成り立ちの史観が興味深い。ロシアはモンゴル帝国に追われ、東欧の小さな国と化していたが、モンゴルの支配の終焉とともにシベリアとの毛皮貿易をもとめ、西にむかっって、遊牧民の大きな抵抗もなく巨大な国家となるに至った。いわばモンゴル帝国の鬼っ子として、モンゴル帝国の生まれ代わりとなっていたと説明する。<P>また、日露戦争前のロシアはさまざまな課題を抱えていた。国内にはロマノフ王朝をたおす革命の動きがあり、日本からも工作員が東欧に潜伏する革命家に経済援助の支援をする。対外的には日本と同じように一触即発の軍事的危機状態にあったトルコとの関係と既に占領したが抵抗勢力の残る東欧諸国をどう治めるかという、混乱した時期にあった。<P>そして、小説の中で幾度となく現れるのは巨大なロシア軍の実態が司令官が自分の責任回避とトップの間の足のひっぱりあいの腐敗官僚主義と、占領国から連れてこられた捕虜を含む士気のあがらない現場の兵という現実を軍隊内部に課題として抱えていた。
この巻では、正岡子規が亡くなります。秋山真之もすごいが、子規には圧倒されます。明治或いはそれ以前の人々はなぜこうも一途で大変な仕事ができたのか、考えさせられます。単に生活に余分なものがなかったからとか、社会情勢が異なるからとか、その分野に功績を挙げられるだけの余地があったから等とは異なる何かがあるように思いますが…私には説明不能。しかし、是非知りたい。なぜ、昔の人はこれだけの仕事ができたのか。どうか一巻から読んで、どなたかこの点を考えて教えて下さい。