本シリーズの主役ともいえる日露戦争の開戦前後がこの第3巻。<P>本シリーズを通して、痛いまでにまっすぐ、国家の為に身をささげる人々の思いをびんびん感じてきたが、中でも特に印象に残った場面があった。<P>日露戦争における海軍を作り上げた山本権兵衛がかつて海軍大臣を務めていたとき、日露戦争での主役となる旗艦“三笠”を英国に発注。しかしながら、資金繰り逼迫で万策つき、どうにも前払い金が払えない。時の内務大臣西郷従道は、事情を聞き終えると<BR>『それは山本さん、買わねばいけません。だから、予算を流用するのです。むろん違憲です。議会で追及されて許してくれなんだら、二人で腹を切りましょう。二人が死んで主力艦ができればそれで結構』<P>本当に胸が熱くなりました。この時代にはこんな人材が少なからずそこら中にいた、、、というより、武士の魂を色濃く残す当時代の常識的な生き方なのですね。<P>覚悟が違います。本気度が違います。自分と比べて余りの違いに愕然としました。<P>本シリーズを通して上記のような精神に随所で出会うことができます。
日露戦争は遅々として進展のない戦争として表層には見えるが、司馬さんの記述でお互いに巨大なエネルギーの押し合いを感じた。日本は軍費もなく、国債を外国に買ってもらって、軍艦を買い、砲弾を作り、兵力では圧倒的に劣っている中、砲弾戦では不利でも、衝突の肉弾戦では極めて果敢な気迫で戦った。<P>戦局は大まかに要約すると次のようになる。<P>旅順という港の要塞の東郷の海軍が攻めるが、互角の戦いでロシア軍艦を港に封じ込めるのが精一杯であった。一方、陸軍は朝鮮半島の仁川から北のロシアの要塞を1つづつじりじりと陥落させて、清の前身である金の首都だった奉天まで進む。ロシア軍は後退する中、本国から膨大な師団の援軍を待っている、そしてナポレオンをも撃退した冬将軍の到来も味方として期待している。日本陸軍は小さな輪をあたかも大戦力で巨大なロシア軍を取り囲むような作戦の展開を進める。ある意味、日本は兵力よりも敵将クロパトキンの心理と戦っていた感すらある。その作戦の中でロシアのコサック騎馬隊との互角の戦は不利と考えた秋山好古は騎兵と歩兵による変則的な騎兵隊で活躍する。<P>一方、遅々として陥落できない旅順に陸軍は乃木に陸側からの攻撃をさせるが戦後、英雄の伝説になっていた乃木とその参謀の伊知地は、実は才にはたけていなかった。有名な二百三高地を落とすために大勢の日本兵が無駄死にの状態であった。そこへ登場するのは陸軍大臣も辞して司令本部の現場におりた児玉源太郎である。旧友の乃木を助けるべく、乃木軍の攻撃の危険のある前線まで赴き、山を動かすが如き、巨大な砲台を山の上に移動させる。現場では砲学の専門の参謀が不可能と進言する中、児玉の直感で見事にそれを実現させ、ついに二百三高地に砲台を移動に成功させる。そうなると、もう旅順港は眼下にある。運び上げた砲台をもってしてロシア艦隊を殲滅させる。
とにかく、のめりこんで読み進めています。<BR>共感した言葉は、<BR>「舟を攻めずして、人心を攻む」は「孫子」のいわゆる戦わずして敵を屈す<BR>るのは善の善であるということと合致している。」<BR>「世界史の上でときに民族というものが後世の想像を絶する奇跡のようなも<BR>のを演ずることがある。」<P>「功労者は、勲章をやればいいのです。実務につけると、百害を生じます。」<BR>「三十七歳の男が、日本の運命を決する海上作戦をひとりでになってゆくこ<BR>とになったのである。」<BR>「日本軍の基本思想は「陣地推進主義」ではなく、拠点を進めてゆくどころ<BR>か拠点すらろくにない。兵士の肉体をすすめてゆくのである。」<BR>です。