おそらく蝉しぐれと双璧を為す作品。昨今この手の時代小説を書く小説家はいるが底の浅さに辟易する。似せて書いたところで作者自身の経験に裏打ちされた人生の重みがなければ小説そのものの説得力が生まれないことがわかる、そんなことを考えさせる小説である。あまりに秀逸であるが故に読み手の要求水準を上げてしまうので、続く作家がいない今読むのは危険かもしれない。
人生は長い。本作を読んでいるとそう思う。隠居後の一幕を描いた時代小説だが、清左衛門のように過去を振り返り現在を思うことはどの年代でもあることだ。この老境にしてそうなのだなぁと考えてしまう。<P>後悔、義気、寂寥感などはどの年代でも持つものだ。しかし、その対処の仕方が老境の士ならではだ。老後とは言わず、いまから見習いたい。<P>藤沢作品の多くにある清々しさに満ち溢れている。単純に物語として楽しむことができる。しかし、清左衛門の生き方から学ぶことを感じることができれば、それ以上のものとなる。
人間は人生のある時点で、後ろから(死から)自分の人生を考えるようになるという。<BR>武士道とは、そういう生き方であるのかもしれない。<BR>(ただし、常にという点では、多少意味が異なるかもしれない)<BR>隠居生活に入った三屋清左衛門が自分の日記に「残日禄」という名をつけたのも、同じ思いであろう。<P>自分の人生を思う時。<P>果たしてどのような生き方をしているのか。<BR>どう生きてゆけばよいのか。<BR>考えさせられる。<P>決して声高に自分の考えを叫ぶわけではない。<BR>静かで、背筋の伸びた、そしてしっかりと自分の正義というものを持った三屋清左衛門の姿に、あこがれを抱いた。