著者の最愛の次男が自死によって脳死状態に陥り、亡くなるまでの11日間をそのベッドサイドで過ごし、生と死について考え抜いたその過程を記した感動の手記。<P>次男の洋二郎さんは生前心の病を患っており、彼が生きる意味を求めて生前につづった日記も収録されていて、読む者の心を深く揺さぶる。<P>この本を読みながら、生前の洋二郎さんの苦しみと、最愛の息子を突然失った著者の深い悲しみを想って、それに自分自身の体験もオーバーラップして、途中何度も胸がつまって、読み進むのが難しかった。<P>父親として、息子がこの世に生きた証を活字に刻印してやらねばという著者の願いがひしひしと伝わってくる。<BR>洋二郎さんは死後、誰からも忘れられてしまうことに絶対的恐怖を抱いていたとあるが、この本を通じて、永遠に誰かの心の中に生き続けることになった。<P>著者自身が「死にゆく患者の家族」の立場から終末医療のありかたや脳死問題について述べられた箇所は、読んで考えさせられることが多い。<BR>納得のいく死を迎えるためには、残された「生」をいかに生きるかということが大切なのだと思った。
「脳死を人の死として受け入れるか-」最愛の息子を亡くし、臓器提供という選択肢をめぐり様々な想いを親として吐露したノンフィクション。 臓器提供カードに記入する前に読んで欲しい一冊です。
自死された柳田洋二郎さんは、精神的な面が大変発達している印象がある。<BR> そういう人は、えてして世俗的な方面に対しては興味を発展させない。<BR> 仏教の僧侶など自覚的にそういうスタイルを取っているし、それ自体稀有なことだが、洋二郎さんは社会との物理的なギャップに加えて、そうした誰とも分かち得ない精神的な孤独にさいなまれていたのではないか。<BR> 自死という最後にもかかわらず、命は光り輝きつづける。<BR> 宮沢賢治の春と修羅の一節が心に浮かびます。<BR>「俺は少しぐらいの仕事が出来てそいつに腰をかけてるようなそんな多数をいちばんいやに思うのだ」<BR>「みんなが町で暮らしたり一日あそんでいるときにおまえは一人であの石原の草を刈る」<BR>「その寂しさでおまえは音をつくるのだ 多くの侮辱や窮乏のそれらをかんで歌うのだ」<BR>「力の限りそらいっぱいの光で出来たパイプオルガンを弾くがいい」<P> 25年の生涯を光のパイプオルガンを精いっぱい鳴らされたと思う。