面白いです。しかし、やるせなさを同時に強く感じてしまいます。面白さは、その鋭い論理と観察眼の存在で、やるせなさは生々しく語られた軍隊の実態を眼のあたりにしてしまうことなのだと思います。本書の中で軍隊の実態は、この論理と観察眼のもとに次々と「虚構」と化していきます。この「虚構」の論理が面白く、しかし同時にどうしようもなくやるせない実態を明らかにしていきます。<P>日本の軍人は日本軍なるものの実情を本当に見る勇気がなかった、と著者は語っています。彼らの念頭に会ったのは「トッツク」(上からの私的制裁。叱咤と罵倒、暴力)と「イロケ」(上への媚び、へつらい)が生み出す虚構の世界であり、著者は「日本を滅ぼした原因の一つはこれだと思っている」と言明しています。<P>日本軍は満足な食料も武器も供給できず、比島では現地の人間や文化と摩擦ばかりを起こし、余りに非現実的な命令を繰り返し、この実態の中で兵士は次々と倒れていきます。「虚構」とはこうも悲惨なのか、「虚構」を支えるとはこういうことなのか、こうした問題意識をひとりひとりが持つべき、と理性的に頭は考えますが、読み終えたとき、もう一度、読み返す気力は僕にはありませんでした。
著者の本書執筆の動機の一つは、昭和12年の東京日々新聞の「百人斬り競争」と言う記事が、戦後30年以上経っても断固たる事実として通用したことである。この「虚報」記事をモティーフに、日本軍の実態を明らかにしながら「虚報」が生まれた背景を分析しつつ、読者に戦争の追体験を迫るのが本書である。<P>戦争映画の戦闘シーンから戦争をイメージしてしまう人は多いと思うが、それは戦争のほんの一場面でしかない。戦闘行為自体よりも、劣悪な環境下での生活、物資の調達や運搬、様々な害虫や病気などの描写から厭戦気分が湧いてくる。そして、そう言う状況下ではそう言う状況下なりの心理状態に陥るので、それをわきまえないと戦争の本質を見誤る危険性があることも本書で指摘されている。そしてそれは「百人斬り競争」と言う記事の背景に繋がるのである。<BR>(下巻のレビューに続く)
「太平洋戦争とは、軍部の暴走に無辜の国民が巻き込まれた悲劇であった」と長らく聞かされてきた気がするが、<BR>そうではなかった。その展開を影に日なたに支えた民衆が重層的に存在した。ほとんどの民衆は黒でもなく、でも白でもなく<BR>グレーだったのである。<P>そういう状況に置かれたときに「貴方」はどういう行動を取るのか、評論家となるのか、傍観者となるのか、扇動者となるのか、<BR>それで利権を得るのか、と本書はグサグサと問いかけてくる。貴方はどういう人間か、と。<BR>「従軍してトクダネがないのも上司に顔が立たないから、百人斬り競争の記事を捏造した」<P>「リスクや論理よりも、仲間うちの和気あいあいを優先した」<BR>「上司にええかっこをするために部下に意味のない重労働を強いた」<BR>「強弁で相手をねじふせ、私的制裁」<BR>「員数さえ合っていればいい、内容はなんであれ」-----<P>著者が描写する軍隊のメンタリティは、全く現在の我々のものである。痛いほどに。戦前の日本人が無知で戦後の日本人は開明なのでもなく、戦前の日本人は気骨があり戦後に倫理が失われたのでもない。<BR>日本人の本性は戦前も戦後もほとんど変わってないのである。<BR>文中、著者とベンダサン氏とのやりとりという、奇怪な記述があるが、それを差し引いてでも、<P>著者の一連の敗因分析の本は、現代の日本人が読むべき本だと痛感する。