無論正式にこれが歴史教科書として採用されることはないだろうが、副読本として考えれば、これほど適したものもないのでは。<P>この上下巻に及ぶ力作を山本氏に書かせたのはやはり『百人斬り』『南京虐殺』といった今でも一部正史として信ぜられている「虚報」への怒りだ。<BR>氏の体験、軍隊経験からこれらはデッチ上げられたものだ、と強い調子で批判を加えている・・・。<P>と書くと、「新しい歴史教科書をつくる会」だのの読者が喜びそうだが、山本氏の筆は真逆に進む。<P>「虚報」を生み出したのが日本人ならその「虚報」に撃たれるのも日本人。そして「虚報」に日本人を撃たせて平然と居直る日本人がいる、と指摘する。<BR>日本人の精神が自ら生み出したものが「虚報」だ。<BR>そして恐ろしいのは「虚報」を生み出す構図は日本人にとって実に自然な精神の成り行きなのである・・・。<P>山本氏はこのことを「対象化」しない日本人に何より怒りを覚えている。<P>戦争の実際を知らずして「大東亜の大儀」だのを信奉する。<BR>大儀などと言うのは戦争に他人を行かせる人間が論じていることで多くの戦争に借り出された人間にとってはどうでもいいことだった。<P>山本氏は平成3年に亡くなっている。<BR>山本氏が本書に綴った後悔、悔恨の念は痛々しいほど。<BR>戦争体験者がこのような思いを胸中に秘めていたため、日本は戦争という手段をひたすら回避した経済立国の道を歩むことができたのであろう。<BR>「つくる会」だの「自由主義史観」だのレイシスト都知事だのが登場するのは、彼らが死去し始めてから。<P>本書は連中のトンチンカンな国家論にダマされないためにも、読んでおくべきだろう。
(上巻のレビューの続き)<BR>本多勝一著『中国の旅』に引用されていた「百人斬り競争」の記事を読んだ時、新聞に書かれていたことだからと、私もこれをずっと事実だと思い続けていたのである。しかし、本書で指摘されている通り、確かにこの記事はおかしなことだらけである。日本刀は三人も斬れば使い物にならなくなり、「鉄兜もろとも唐竹割」も不可能であること(これなどはどこかで公開実験して欲しいものである)、歩兵砲隊の小隊長であった向井少尉が上官の命令を無視して砲測を離れ、百人斬りを始めたなどと言うのは死をもって償うしかない大権の干犯・統帥権の侵害であること、野田少尉の「僕」「○官をやっている」などと言う軍人らしからぬ物言い、百人を斬るまでの時間を争うゲームのルールが、いつの間にかあやふやにされていることなどである。<P>現在、この記事を肯定する人たちも、この記事は二人の少尉の伝聞をもとにした「据え物百人斬り競争」について書いたものだとしているらしい。現場を目撃したわけでもないのに「飛来する敵弾の中で百六の生き血を吸った孫六を記者に示した」などと書いたこの記者は、ジャーナリストとして完全に失格であり、戦時中、日本国民が戦況を正しく把握出来なかったのは、大本営のみならず、このようなマスコミの体質にも責任があったと言うべきだろう。この記事のみを証拠に二人の少尉が処刑されてしまったのは、紛れもない事実である。