ある家族の末弟が明かす、自ら死刑を望む兄を描いた壮絶なノンフィクション。<BR> 前半部は家族の系譜をたどったり、宗教についてくどくど語られていて(それは物語を語るうえで不可欠な要素であるのに間違いはないのだが)少々退屈気味。<BR> だけれど、そのあとの家族に焦点を当て始めた話は壮絶であり、果てしない暴力とその裏返しの愛情が切実に伝わってきて泣かせる。<BR> この本の中には確かに愛が存在し、僕らの心の中にはっきりとその存在を根付かせてくれる。<BR> 余談だが、舞城王太郎の煙か土か食い物はこの本をベースにしたのだろうか? 家族間の争いがそっくり。
この本に出会って以来僕はこの本を人生のバイブルにしてきました。<BR>この本で繰り返し描かれる暴力と悲劇は、何故だか自分がどん底に<BR>落ち込んでいるときに、心地よく感じられます。もちろん自分がこれほど<BR>の悲惨な境遇にあるとは思えません。しかし、自分が色々なことに負けて<BR>しまいそうになるときは、この本に出てくる様々な登場人物を見習って、<P>それらと戦っています。<BR> 特に後半は家族のフランクを除く全ての人間が死んでしまいたった二人の<BR>家族に焦点が当てられます。たった二人だけどかけがえのない家族。<BR>よりそって非情な社会を寄り添って生きる著者のマイケルとフランクの姿が<P>どれほど美しいことか。そしてラストは衝撃です。“もう何も良くなんかならない。もう何も良くなんかならない”著者のマイケルが最後悪夢の中でつぶやいた言葉が耳から離れません。他にもモルモン教のエピソードとのリンクがこの物語に大きな深みを与えています。これ以上私は何も言いません。とにかくこの本を読んでください。そうすれば、この世ではない世界から発せられる言葉が聞こえてくるはずです。
1976年夏、僕の兄ゲイリー・ギルモアは何の罪もない人を二人殺した。判決は死刑。ゲイリーは銃殺刑を希望し、執行された。何が兄を殺人に駆り立てたのか?長男フランクの失踪、次男ゲイリーの殺人、三男ゲイレンの変死を引き起こした、暴力と恐怖と失意に満ちたギルモア家のトラウマの歴史を、4人兄弟の末弟が、過去に遡って丹念に紐解いて行く……。<P>事実の持つ圧倒的な重みの前に、ただただひれ伏し沈黙してしまいます。読むあいだ、それほどの暴力と怒りがどこから生じるのか、という問いが私に付いてまわりました。自分ではどうしようもない心の傷というものが実在するのだ、と読後、私は人間を見る目が変わってしまいました。また読んでいるときに感じた深い悲しみはいつまでもリアルに残っています。しかし、本書には安易に回答を出すことを拒絶し、感傷も受けつけない、超越した何かがあります。何かを言いたいのだけれど、言葉が見つからない、そんな思いにとらわれる本です。