「昭和の参謀」瀬島龍三の欺瞞と粉飾をこれほどまでに見事に暴露した本は他にないであろう。<BR>瀬島が『不毛地帯』の壱岐正のようなヒーローでないことは一目瞭然だが、本書が瀬島を単に悪く書くだけでなく、極悪非道・冷酷無比の悪の権化でないことをも明らかにしている点は興味深い。私人としての瀬島は面倒見の良い優しい男ですらあった。すなわち瀬島は、要領が良く世渡り上手の小利口な秀才にすぎず、権力者の威光を背景に「参謀」として大勢の人間を意のままに動かすことに喜びを見出してしまった小人と言えよう。<BR>「軍刀組」としてのエリート意識を戦後も持ち続け、さらに肥大化させた彼は、特権者である自らが一般大衆に命じるのは当然と考え、その命令の結果に対する責任を決して取ろうとしない。そのくせ「御国のため」と声高に喧伝する。他人に要求する倫理を自らには適用しないのは偽善者の常だが、巨悪になる度胸を持たない臆病な自尊心は、瀬島一人に限らず、戦前・戦後の日本型エリートに共通する特質ではなかろうか。<BR>単なる瀬島批判に留まらず、公私を混同しノーブレス・オブリージュを果たさない日本の支配階級に対する痛烈な批判となっている点に、本書の意義は存する。
大本営参謀から戦後シベリア抑留を経て、商社の経営幹部に転じ、中曽根内閣で臨調委員として日本国家のあり方形成に参画した瀬島龍三氏についてのレポート。本書の出版当時は山崎豊子氏の小説とオーバーラップした形で瀬島伝説のようなものが流布していた時期であり、その伝説への挑戦という意味でも衝撃的なレポートであったと思われる。<P>本書は、瀬島伝説の中核をなすシベリア抑留の虚実にまず分け入っていく。その中で瀬島氏が見せたかったもの、隠したかったものを明かし、その中で瀬島氏がとるべきであった、そして取っていない責任のありさまを示す。これは彼の生涯を通じての生き様の典型となる態度であり、そのことを著者は瀬島氏の幼少時から陸軍大学校までの軌跡と商社における活躍の中に見出す。瀬島氏の存在は、常に滅私奉公な能吏、もっとも優秀な参謀であった。組織を動かすことにその能力の本質があり、価値は外生的に与えられ、そして責任を問われない立場であった。<P>私は、本書の中でもっとも重たい指摘は、瀬島氏が、その抱える秘密を明かさないことも含めて、取るべき責任を一切取っていないという点にあると思う。特に白眉は、本書p.273の財界人の指摘である。瀬島氏は自らが参謀として南の島で死なせた数多くの国民に対してどのような責任を取ってきたのか。そのような人間が公人として日本の将来を語り、そしてこれを実現する立場に立つことをどう考えるのか、瀬島氏はどう考えているのか(ちなみに、本書によれば、瀬島氏の後任の作戦課参謀は自らが死なせた英霊に詫びるべく、終戦後割腹自殺している。)。<P>瀬島氏という、国家的エリートとして育成され大企業や国家の意思形成において活躍した人物の生き様を通して、日本的エリートのあり方を考えることのできる、奥深いノンフィクションである。
「不毛地帯」「沈黙のファイル」「大本営参謀の情報戦記」と読んできて、この一冊が最も衝撃的だった。第二臨調とは、行革とはどのようなからくりだったのか、無謀な捷1号作戦はどのように実行されたのか、開戦前夜に昭和天皇に届くはずだった米国大統領からの親書電報は、なぜ半日も遅れたのか。シベリア抑留の真相は? 自称おちこぼれ参謀の「情報参謀」著者堀栄三氏が言う陸大軍刀組=究極の学校秀才たちの独善によって、前世紀日本及び周辺国が失ったものは、あまりにも多かった。が、彼らにかぎって、肝心なことは黙して語らないのだ。<P> 辻政信や服部卓四郎などにも、これだけのルポルタージュがあったとしたら、とは思うが、読むのも恐ろしいものになるだろう。しかし不思議なのは、彼らが人!!!的に冷酷だとか、残虐だとかいうことはなく、ある面「不毛地帯」の壱岐正のような合理的で折り目正しい素顔を持っているのも事実なのである。恐ろしいのは学校秀才万能という幻想を持ち続けた旧軍のシステムなのだろうか。さらに恐ろしいことに、それはつい最近まで、中央官僚制度や医療・法曹制度の中に、しっかり根づいたままだったのである。<BR> 「大本営参謀の情報戦記」との併読をおすすめする。