明治10年9月24日、西郷は最後の時を迎える。その半年後、大久保も暗殺者の手にかかり、落命する。<P>大久保と西郷の物語はここで終わる。もちろん、爽快感はない。<P>読後感の重さは、ひとつには、西南戦争にはいったい何の意味があったのか、ということがある。この小説を読む限り、ただ死ぬためだけに行軍したようにしか思えない。そしてそれと知っていて西郷は止めなかった。まるでレミングの死の行進である。<P>もうひとつの重さは「サムライの絶滅」を暗示させる点であろう。士族は鎌倉幕府以来700年間、日本における読書階級であり知識階級であった。いわば日本的精神の美を支えてきた階級であった。それがいきなり無業者となり、百姓の軍隊に駆逐された。と同時にストイックな求道的精神も、庶民の庇護者としての犠牲的精神も絶滅した。かわって、極めて個人的な利と欲の精神が権力の中枢を占めるようになった。実のところこの構図は今にいたるまで、ずっと続いているように思う。<P>明治維新はいったい、何をつくり、何を破壊したのか。電車の中で化粧をする、道端に座り込む、車の窓からゴミを投げる。サムライが代表者として受け継いできた日本人の精神は、ここから崩壊が始まったのかもしれない。
全10巻という長丁場の終焉に来て、なにやら最初のころに比べ著者の西郷隆盛はじめ桐野利秋に対するトーンが冷ややかになってくる。豪胆・爽快な男としつつも桐野も最後は「単なるテロリスト」呼ばわりだし、「会った人でなければわからない西郷の大きさ・人望」も所詮会ったことがない著者はじめ読者にも、虚像か英雄か判定がつきかねる、というところが正直な結論だろうか?西郷は幕末動乱を駆け、維新回天をなし、武士の無用な世の中を作った。西郷の生涯の最後の仕事は行き場のない武士たちを死地につかせることだったのか・・。<P>西南戦争の終盤、西郷、薩軍幹部たちの死。圧巻の最終巻ですが、読後感は複雑です。この一大叙事詩をどう表現したらよいか適当な言葉が浮かばない。