高校生の時に読んで、30数年後にまた読んだ。吉田松陰のことは非常に尊敬しているが、高杉晋作が気になっていたので、第三巻から。10代に読んだ時は、冒険活劇としてわくわくして読み進んだ。幕末の志士たちの行動の鮮やかさと、信じられないほどの劇的展開に心奪われた。でも今回再読してみると、志士たちの主張が攘夷論から180度転回して開国論になったり、藩内が勤王派から一転して佐幕派になったり、長州藩が京都で勢力を誇ったと思ったらいきなり幕府軍に攻め込まれたりする、そういうとんでもなくめまぐるしく激しい「変化」が、ちゃんと論理的に書込まれていたことに驚いた。司馬先生、さすがです。若き日に一度読み、中年になって再読する。一冊で2度おいしい、グリコみたいな小説です。
吉田松陰と高杉晋作の一生を通じて、幕末の雄長州藩を描いている作品。史実については、最近の新研究と齟齬を生じる部分もあるが、両者の人生を大まかに捉えるには充分だと思う。楽しんで読んで、興味を持ったら他にも色々読んでみると、幕末への理解が深まり、ひいてはいまの日本に対する視点も変わってくるだろう。勤皇派については、これと「竜馬がゆく」を合わせて読むのがオススメ。高杉晋作楽しむなら、「十一番目の志士」「花神」をどうぞ。
著者の描く寅次郎、著者の作り上げた長州藩、著者の考えた江戸時代などが個性豊かに展開される。<BR> 吉田寅次郎が長州の海岸を歩き、九州を歩き、江戸・東北を歩く。ときに脱藩して歩く。歩く、あるく。異国を見、人物を探し、本を求めて歩く。好奇心、自負、藩への責任感、地理・兵術への精進、師・友。<P> 明治の日本人が、一日怠ければ一日国家の後退と感じたという。幕末の長州人も同じであったのだろうか。同じ幸福な思い込みが、ここにもあったようだ。<BR> 長州という藩に、個性がある。それは幕末を主導するに足る開明性と柔軟性をもつと同時に、のちの日本陸軍の下克上に通じるような、若者への「甘さ」をも併せ持っているようである。<P> 江戸の日本は地方に人物を得ていたという。江戸の御家人・旗本よりも、地方の読書人のほうが教養高かったという。いまは、どうであろう。そうした連想が広がる。<P> バブルの崩壊以後、多少、乱世の趣がある。どの会社でも、従来の選抜方式によるエリートなり幹部なりが、昔ほど役に立たなくなってきているのかもしれない。お家の一大事・・などという妄想にひたりながら読んだ。