律儀のみが取り柄の夫・一豊、それに才智溢れる妻・千代、才能の無い夫を千代の内助により、一国の主になるという二人の夢が、叶い土佐一国を拝領することになった。入国に際し、土佐の先住の郷士達の抵抗にあい、困り果てる一豊だが、最終的には強攻に出、主たる郷士達を虐殺することにより土佐を鎮撫する策をとってしまう。創業のころとは異なり、大きな組織となった山内家では、もう千代は蚊帳の外の存在であり、相談も無かったことは、彼女を悲しませ、また、彼女が夫と作ってきたものが、そんなもの(領民を平和に治めるのではなく、力による支配であったこと)になったことに、彼女は、自分の半生が何であったのかと悩み、また夫の無能さを嘆きたく、またなじりたい気持ちになる。一豊の狭量故に、民衆を治められなかったことが、最後に敢えて描かれているのは、司馬遼太郎は何が言いたかったのか考えてしまう。幕末まで続く、土佐の上士・下士の軋轢の原因といえば、この始祖一豊の方針というか、取った手段のためであろうが、一豊や山内家の老人達が本当に無益無能だったとは云いたくはない。それほどに進駐してきた者が先住者を治めるのは難しいものだと思うし、実際、力によらねば上手く治められなかったのではないだろうか。結果論から云えば、上士下士の対立から、幕末、郷士の脱藩者が出、自由な発想で行動できたことが、明治維新の立役者を多く輩出する結果になったような気がする。私は、一豊のことを、作品中で千代が言うほどには馬鹿にはできないと思っている。なぜなら、実際、戦いに臨んだは彼であり、生死をかけたのは彼だから、軽んぜられるのは酷なような気がする。利口な忠告者より、現場に立つ実践者の方が辛いのである。世の奥様方にも、そのことは解かって欲しい。『旦那さんを大切にしてあげて欲しい』と、なんだか最後は私の願望になってしまったようで、失礼しました。
ついに土佐一国一城の主となった一豊。<BR>権力を持って変わってしまう一豊を何とかしたい千代。<BR>物語はいよいよクライマックスになっていきます。<P>一豊について全く予備知識がなかったため、最後はとても意外な展開でした。<BR>千代の苦悩とリンクしていく自分がいるのが分かります。<P>司馬遼太郎の筆がよく走っており、脱線もいい意味で楽しく、最後まで一気に読むことができました。<P>大河ドラマにも期待してしまいました。
一豊は大戦(関ヶ原)で評価され、土佐二十四万石の一国一城の主になりましたが、凡庸のままでした。それに引き換え、千代は最後まで賢い女性でした。ここまで一豊の評価を落とすように書いているのは千代を引き立てさせるのが目的で、著者がそうしているのでしょうか。<P> 二巻、三巻の千代は一豊の出世だけを考えている嫌らしい才女に映りがちでしたが、四巻では人間として魅力のあるところが随所に書かれています。男中心の戦国時代の中では女性が注目されるのは難しいことですが、千代はその時代に輝いていた数少ない女性の一人であることは間違いないでしょう。