山口貴由の「シグルイ」の原作としても知られた作品。所により古書価が一万円以上していたので、今回の出版はたいへん有難い。南條さんの筆致はテンポが速く、あれよあれよという内に話が進んでゆく。シグルイで単行本4冊かかってまだまだ終わらないところが、原作では四十ページあるかないか。五百頁以上の文庫本があっという間に読める。<BR>しかしながら、御前試合、十一組の試合とその後日譚、読んでいるとさすがに飽きる。大抵同じような話だからだ。たいへん優れた剣士Aと同程度に優れた剣士Bがいて、流派の長の血縁で素晴しい美女のCがいる。葛藤を経てBがCに求婚するが既にCはAのことを想っていて・・ABC三人の性格設定や、剣術の技に違いはあるものの、五試合目くらいまで読み進めばあとは大体見当がつく。後日譚など、何とか話をまとめあげるために置いてあるに近く、ああまたかと思ってしまう。<BR>あまりこの手の作品を読まないし、南條氏の著書も正直初めてなので、こういう剣術時代劇というのは常にこのような展開なのかどうか分からないが、前半楽しく読めたわりに、後半は少し苦痛。<BR>ともあれ、全体に娯楽小説としては楽しめる方。祝復刊、ですね。
三代将軍徳川家光の実弟忠長が執り行った真剣勝負による「御前試合」の顛末だが、これが実に面白い。対戦者間にわだかまる情念、執念、怨嗟、等等を過不足なく綴り、刹那の勝負に全ての因果を収斂させる構成なのだが、これが十一篇続いても、まったく飽きさせることが無い。<P>相対する剣士をそれぞれに、ある意味追い詰めている武家の論理は前近代的なものであるが、その根底に流れるさまざまな感情は普遍の原初的なものであり、今日読んでもあまり古びた感じはしない。。。。。のは、やはり俺が時代劇が好きだからかも知れない。<P>むしろ今日的と言えるのは、その残酷描写であろう。腕が飛び、脚が飛び、体が両断される剣の破壊力は対峙する双方を無傷では終わらせない。『キル・ビル』や『シスの復讐』などが剣豪小説の映画化作品へのリスペクトとして残酷描写を描いており、そういうものと呼応している「愉しみ」であることは否定しない。が、今日的とはそうした表層的な意味合いのみを指すものではない。<P>駿河城南庭の白砂の上に繰り広げられる凄惨な殺し合いは、生き残った者の魂を更に深く傷つける。酸鼻を極める試合の描写は、達人ゆえの凄みと業を漂わせながら、「無情」の二文字を読む者の心にも刻み込むのだ。だがこれは、血で血を購う事の空しさを説教臭く語り、半端な悟りを錯覚させるものでは断じて無い。むしろ生の業苦とも言える、足掻いて足掻いて生き続ける様を、十一の試合は描いている。だが、十二編目では、いともあっさりと終焉を迎える生の空しさを突きつけるのだ。<P>「命は等しく無価値」というテーゼが今日的なのか?そうかもしれない。だが、その結論に至る醜いまでのバイタリティがあるから、ニヒリズムは「破滅の美学」に昇華するのである