この本を読んで、なぜ、古武術の甲野善紀の対談の相手が、解剖学の養老孟司<BR>なのかがやっと理解できた。アプローチは全く違えども、「人間の体」につい<BR>て探求している、という面で共通しているわけだ。<P>この本では、甲野善紀が自身のアプローチを養老孟司に説明するような形を取<BR>っているが、決してそれだけでは終わらず、養老孟司が鋭い突っ込みで返して<P>いる。面白い。
サッカーのフェイントで忘れられないというか、人間業とは思えないのは、「小鳥のフェイント」と呼ばれたガリンシャのフェイントだと思う。ほとんど動画は残っていないけど、さすがにワールドカップの試合などは残っていて、彼がフッと体を倒すだけで、対峙する屈強なDFが腰砕けになるシーンとかは、不思議な感じがした。<P>解剖学の養老先生と対談する甲野さんは、「捻るな、うねるな、タメるな」をモットーに最も早いカラダの動きを研究している武道家。甲野理論によれば、最も早く動けるのは重力を使うこと。例えばヒザを「抜く」と一瞬で体が沈むみたいな感じでしょうか。ガリンシャのドリブルもそんな感じを受けます。この手の本にありがちな、わけのわからなさはあるのですが、それを養老先生がうまく合理的な方向に向けています。<P>それにしても武道家という肩書きはいいなぁ。ぼくは、ここ5年間ぐらいで一番、感動したのは、昔のキックボクシングのチャンピオンであった沢村忠さんの言葉でした。キックを引退した後、公に姿を見せなかった沢村さんについては様々な噂がことがまことしやかに語られていたこともありました。しかし、沢村さんは、自分に空手を教えてくれた祖父のように町で道場を開いて子供たちを教えていたんです。もちろん、中古車販売かなんかの仕事をしながら。<P>そんな沢村さんの姿を追ったテレビのドキュメントの最後、彼は「いろいろあったけど、すべて忘れた。いまは武道家に戻れた。そのことが一番嬉しい」といっていました。ぼくなんかとは無縁な世界なんだけど、この本なんかを読むと、武道というのはライフスタイルのことなんだな、と観じた次第です。
「身体に関する考え方なり扱い方なりというのが、ひじょうに洗練された形で、ほとんど武道のなかに集約されていったんだろうと、思うんです」<BR>という、解剖学者養老さんと<BR> 「運命は初めから完璧に決まっていて、しかも自由だ」と解釈したので、これを身体で実感するために「よし、武道をやろう」と決心した。<BR> という、武術家の甲野さんの<P> 古武術についての対談です。<P> お互いに、相手を尊重しあい、とても礼儀正しいので、気持がいい会話になってます。<P> 明治に西洋の文化を取り入れる際、それまで武道に受け継がれてきていた技術や身のこなしが、言葉にならないため「無いこと」になってしまい、消えていったといいます。<P> 甲野さんの、昔の日本人は手を振らずに歩いた。「昔の庶民にとっては、早く走るというのは、いまなら泳げることと同じくらいのひとつの技術だったんです。」という話や<BR> 養老さんの「自分というものは自分のなかだけにあるものじゃないんで、他人のなかに分散して入っている。」という話<BR>など、面白い話がたくさんでした。<P> また、「あとがき」に載っている「飛来するバットの先をかわす桑田選手」の写真を興味深く見ました。「膝をぬく」という武術の動作が役にたち、バットをかわしたと解説されています。