この本は私たちがいまどれだけ幸せなのかがわかりました。読んでるとき涙しましました。歩くことがどれだけ大変か、そしてどれだけ大切なことなのか、できたくてもできない人、、、今私は幸せです、当たり前のことができるから。ときどき私は「なんでこんなに不幸なんだろ?」と、思うときがあります。だけどそれは病気で戦ってる人たちに嫌な意味を言ってるんだと思いました。すごく申し訳ないです。<BR>病気はかわいそうじゃい、神様があたえた試練なんだ。<BR>生きる意味・・・・どれだけ大切のことなのか・・・・よくわかりました。
本書の内容は15歳という若さにして脊髄小脳変性症という難病を患った亜也さんが、筆をとることができなくなるまで書き続けた闘病日記である。刻々と進行する病に対して不安や苦悩にもがきながらも、「回復して歩いたり走ったりすることができるようになりたい」と、必死に努力するその姿には感銘を受ける。いわゆる健常者、すなわち五体がたまたま満足で歩けることなどが当たり前のことと疑わない人は、歩くことや「普通」の生活ができることとはどのようなことなのかを考え直すことができると思う。<BR> 総じて明るい文体で書くようにつとめている亜也さんだが、その奥に存在する苦しみ、悲しみはいかばかりか、と図りかねる。また亜也さんを支える家族のありかたには涙なしには読むことができない。特にお母様の言葉は、本当に彼女のことを思いやったものであるし、この言葉によってどれだけ彼女は救われたことだろうと、うかがい知ることができる。<BR> 25歳という若さで亡くなった亜也さんだが、私はその生き様はすばらしいものであると思う。自暴自棄になることもなく、自分が苦しい常態にあるにもかかわらず常に周囲に対する思いやりの心を忘れず精一杯に生きた。「亜也さんの生き方に対して自分自身の生き方とはどうなのだろうか」と、私たちが学び取ること、感じ取ることができるものは少なくない。たまたま文庫化された旨の広告を見て本書を手にすることになったのだが、本当にこの本を読むことができてよかったと思う。
この本の中で亜也さんは初め14歳です。<BR>14歳の頃の日記から始まりひとつずつ年齢が増えていきます。<BR>私は今16歳なんですが、当然16歳の頃の日記は私の毎日とは全然別で当たり前なんですけど、いつも自分が何となく生きていることが恥かしくなりました。<BR>私はまったく健康で、歩くことも走ることも当然出来て当たり前のように思えていました。でも、亜也さんは私と同じ年の時にはもう自分を「身体障害者」だと認識しないといけなかったんです。<BR>この本を読んで、身体障害者の方は自分を障害者とちゃんと認識して暮らしているんだと思いました。<BR>私が通学するときのバスには養護学校へ通う身体障害者の方がたくさん乗っています。今まで私は「可哀想だな」としか思っていませんでした。そう思っていた自分が本当に恥かしいです。身体障害者の方も私と変わらない普通の人間です。もし、私が今医者に「あなたは障害者です。」といわれたらきっと私は受け止められないでしょう。それを受け止めて生きている障害者の方はとても立派な人だと私は思うようになりました。<BR>私の考えが変わったように、この本を読んだら、何かが変わると思います。<BR>ぜひ、読んでみてください。