待望の宮澤氏のグールド論、題名もそのものズバリで、やられました!<BR>期待を微妙に(良い意味で)裏切ってます。帯にある<BR>「音楽(フーガ)=環境(メディア)=北(カナダ)」というコピーに<BR>???と思いましたが、これが「メディア論」、「演奏論」、<BR>「アイデンティティ論」と3つの章に相当して、<BR>それがみんなつながっている、という論の展開は見事です。<P>個人的には、最初の「メディア論」にいちばん熱中しました。<BR>グールドの言動を丹念に追いつつも、すっきり整理してくれてい<BR>る印象です。冒頭の「演奏会活動停止発言」や、<BR>「拍手禁止コンサート」の“実況中継”が、特にそうで、<BR>今までどの本にも書かれていないエピソードがおもしろかったです。<BR>マクルーハンが出てくるところは(正直マクルーハンは<BR>名前しか知らないので)チト難しかったけど、グールドの考えや<BR>気持ちがわかるような、切ないような、なんとも言えない気持ちに<BR>なりました。<P>「演奏論」は、ゴールドベルク変奏曲(ゴルトベルク変奏曲って書くべき?)<BR>を中心にまとめられていて、グールドがなぜこの曲とともに<BR>語られるのかがわかった気がします。先輩ピアニスト<BR>ロザリン・テューレックのグールドに対するコメントが笑えました。<P>最後の「アイデンティティ論」は、カナダ、カナダ人論(?へえーそんなのが<BR>あるの?)で、今まで読んだことのない新鮮な話題でした。<BR>2章までが内へ内へ入り込む感じだったのが、<BR>ここへきて、パッと広がっていく感覚がありました。<BR>「米国人の言いなりにならないグールド」っていうのがイイです。<BR>全体的に、グールドを語るときに良く使われる「孤独」とか<BR>「エクスタシー」といった言葉を使わないで論じる姿勢には<BR>妙に感心。「孤高の人」であったかどうかは問題<BR>にしないし、それでもグールドは論じられるのだという態度が<BR>貫かれてるみたいです(でも、ちょっと使ってもいいじゃん!みたいな<BR>気もしましたが)。<P>それからこの第3章、ちょっとしたドンデンガエシみたいな<BR>終わり方をしていて、この章の冒頭だけでなく、第1章の冒頭にも<BR>循環するところがチャーミングですし、また切なくなりました。<BR>付録のグールドの忘れられたエッセイ「親友の言葉」もおもしろく、<BR>改めてグールドの魅力に引きつけられました。
日本のグールド研究の第一人者・宮澤氏による初の書き下ろし「グールド論」が出版されました。読む前に思ったのは「論?ちょっとオカタイんじゃないの?」でした。読んでみたら、オカタクなく、かっこいいほど(さらに笑うほどに)マニアックでした。<BR>ページをめくるとまず目に飛び込んでくるのが、Bachの譜面を立てたスタインウェイに肘をついて立つグールド&例のオンボロのグールドさんの椅子の写真。次が氷河に似た氷が浮かんだ入り江の写真。次がカナダの地図。<BR>この本のキーワードは、この3点のモノクロ写真が語っているのかもしれない…と全部を読み終えて、そんな気持ちになりました。<BR>細かくは本を読んでからのお楽しみということにして。<BR>私が全編を通して感じたことは、この本を書くことで、筆者の宮澤氏が『グールドの「魂のへその緒」探し』をしているということでした。それはグールドが演奏以外にもあれもやりこれもやりという人で、とても一人とは思われぬ、例えばグールドの中にその2、その3のグールドがいて…チーム・グールドが一つの衣服をまとってグ・ー・ル・ドォーー(ドカーンと大きい文字にしたい)として生きているような感じさえする創造者でした。しかし結局グールドはどうしたかったのか?多分グールドはグールドであり続けグールドになりたかった(想像)。ではそのグールドって何だ?それを読み解く鍵がカナダにあるという論法です。ではカナダ、トロントとは何か?『グールドの魂のへその緒』とは…多分読んだ人は納得できると思います。<BR>彼の地で熟成していく時間を大事に思い、そうしたスタイルを崩したくなかった(または崩せなかった)グールドの魂がキラリと見えた「グールド論」でした。