ジャーナリズムを茶化しているようなところがあるが、命がけでそれを実行しているので批判するのは野暮である。空港建設の反対デモで活動家と警察隊が宮嶋の乗りつけたレンタカーを盾にして投石しあって車が無残に壊されているくだりは、本当に涙が出るくらい大笑いした。どうか彼にはどんな危ないところへ行っても無事であってほしい。
生き方無茶苦茶だ。<BR>プロカメラマンはこれぐらいのプロ意識&根性なければならないのか。<P>実際の撮影カットが入っており、そこに至るプロセスをぐいぐい<BR>文章で惹きつける。<BR>その1カットに至る、ものすごい執念やそのストーリーが面白い。<BR>麻原を撮らえた1カットとそのプロセス。一読あれ。
記者連中とは仲良くはなれないが、けっこうカメラマンとは親しい。文屋はいざとなったらキーボードを叩いて、見てきたようなウソをつけるが、カメラマンはいまんところ、CGの技術が新聞読者をあざむくほどには現実にはおっついていないので、その瞬間にいて、しかも決定的瞬間を切り取らなければならない。<P>当然、リアリストになる。しかも、ペシミストではすぐに潰れるから、残ってくるのは気持ちのいい職人が多い。<P>宮嶋さんは文章はうまいし、写真もうまい。パソコンは相変わらずヘタだと聞いているが、インマルかついでアフガンからニュースステーションに生でコメント送るぐらいはできる。なかなかだ。<P>「どこかで物事はじけると、イソイソとどこにでも行ってしまい、いかなる思想も知識も乏しく、何の感激もなく、単なるミーハーであり、お祭り騒ぎが好きで、犠牲者が多いほど喜ぶという、トンデモないフリー・カメラマンのことである」というのはp.74に載っている至言だ。<P>美しいほど完璧な現代の批評だと思う。カミュは『転落』の中で20世紀の人間を「新聞を読んで姦通した」と簡潔に定義しているが、それに匹敵するアォリズムではないでしょうかね。