こんど高校生になる息子が、原稿用紙を前に1時間うなって数行も埋められないほどの文章下手である。<BR>で、なんとか人並みに文章が書けるようにならないものか、と本書を手にとってみたが、結論からいうと、本書はそういう目的には役にたちそうもない。<P>10キロのマラソンをいきなり走るのは無理だが、トレーニングを積めば誰でも走れるようになる。10枚の原稿用紙を書くのもそれと同じだ、と齋藤はいう。<P>であれば、1キロを2キロ、2キロを3キロに伸ばしていく実践的なトレーニングメニューを提示してほしいところだが、本書にはそれがない。せいぜい、いきなり書き出さずメモを作れ、とか、引用して枚数を稼げ、とか、そんなレベルだから、迷える子羊は途方にくれるのみである。<P>さらにモーツアルトがどうとか、キムタクがどうとか、あまり意味のない例え話が多く、全体に大変中身の薄い印象を受ける。これじゃ原稿用紙を埋めるだけ紙の無駄、というと言い過ぎだろうか。<P>般若心経は原稿用紙半分ちょっとの分量だが、その知恵は数千年時をへて現代に残っている。<BR>書くことの重要性については齋藤の意見に同感ではあるが、文筆を生業としない人にとっては、量をこなすことにさほどの意味はないような気がしてきた。言いたいことを簡潔に表現できる力、の方がよほど重要なのではなかろうか。
斉藤孝氏の著書に共通する問題なのだが、とても分かりやすく書かれているだけに、読み終わった途端にすっと抜けてしまう。これを防ぐには、実際に自分が10枚程度のものを書いているときに同時並行で読みなおして、これはというところを実践してみることだろう。いずれ試してみたい。<P>なるほどと思ったのは、「もっとも印象に残った三つの場面を拾い上げてみよう。そしてなぜ、その場面がよかったのか書いてみる。最終的には、その三つをつなぐことで、自分がなぜその三つを選んだのかがはっきりして、その人の感性が明確に出てくることになる。」という下り。とりあえず、映画を見たときや、芝居を見たときに試してみようと思った。人の好き嫌いにも応用できそうだ。<P>衝撃的だったのが、「その本の中の二割を読めばいいのだ」と言い切った部分。本を読むのを職業とする学者としては思い切った発言だ。でも、二割だと著者の真意を誤解してしまうことも多いのではないか。
こんな本のレビューを書いていい物か?<BR>書く力を究明したくてこの本を買ったのだから。<P>メールが一般的になった今書く力は非常に重要になった。<BR>もっと具体に書き方について示してくれるかと思っていたがちょっぴり期待はずれの感は否めない。<BR>しかしこの著者の本は初めてなだけに気づきはそれなりにあった。<BR>社会人、学生を問わず読んでみていいのではないか