~何故「超芸術」なのか、何故「トマソン」なのか。トマソン学の発端となった物件、路上観察学会によるトマソン物件の収集など、トマソン研究の黎明期を知る爆笑ものの名資料。しかしトマソン捜索だけで終わらないのが路上観察学会の悪いところでいいところ。その成果の最も輝かしいものが「地上にいながらにして足がすくむ」名ショット。ひたすら無意味。芸術~~的お間抜けを探しつつ徘徊する赤瀬川トマソン学の入門書。~
この本は赤瀬川博士の種々多種にわたる発見の中でも、最初にして最大、かつうんちくに満ちあふれた大発見『トマソン』の基本テキストである。<P>まず、赤瀬川博士といえば中古カメラであるが本作でも魚眼・マクロ等様々なぎじゅつをくししていらっしゃる。圧巻はカバーにも使われているトマソン物件に魚眼カメラをつけて地上に向け撮影した証拠物件(最近金融界ではこれをエビデンスと偉そうに言っている)ではないだろうか。<P>閑話休題。この本にも多く感じられる『アカセガワゲンペイ』というウィルスは超強力で、あっという間に渦を巻いて読者を引き込んで行く。読者だけでなくRICOHという会社はデジタル・カメラのコマーシャルになんと彼を採用し、僕に悔しくも一台を購入させるという荒技をしてみせた。なかなかである。<P>今やデジタル・カメラ200万画素以上を内蔵していない携帯電話を愛用しているのは僕ぐらいだろう。世界は『アカセガワゲンペイ』というウィルスの影響を知らず知らずに受け、今や老人力と路上観察学者とトマソンに溢れている。本作はそのスタートも言える大傑作で、疲れてショボンとした時に読むとめきめきと笑いが沸いてきてなかなかだ(●^o^●)。
伝説の写真雑誌「写真時代」に連載されていた、赤瀬川原平の写真エッセイ。これが後日、「考現学」「路上観察学」に発展する事となる。<P>例えば、なにかの都合で入り口を封鎖されてしまった屋外階段。知らずに登ると入り口と思しきところはコンクリートで塗り固められていて、しょうがないから登ってきた階段をそのまま降りる事になる。そして、こう思う。あれ、じゃあ、この階段の存在意義はなんなんだ?これこそ、超芸術。分類名「純粋階段」。<P>見回してほしい、自分の周辺を。こんな超芸術が、誰かに発見されるのを今か今かと待ち構えているのに気が付くだろう。まだまだあるぞ、純粋扉にキノコ型。<P>・・・本書を手にしたら、まずは表紙をしっかりと見てほしい。なにか、変。受け狙いやおふざけとか?そんな単純なものじゃない。師に渾身の演武を披露する武芸家にも似た、ある確信がみなぎっているのが分かる。「行動自体が、もはやトマソン」と赤瀬川をして言わしめた某氏の力作写真である。もう、見ただけで、今まで育んできた思考の大事な部分をポカンとはずされてしまう、最高の出来映えだ。<BR>これで気持ちの準備が整ったら、ページをめくってみよう。赤瀬川と、そのフォロワー達の手により白日の下に晒されたトマソン達が、次々と紹介されている。<P>ところで、どうして”トマソン”?それは、読んでみてからのお楽しみ。いや、たいした理由じゃないんですが・・・。