「意識」とか「脳」とか書かれていると、何となくムズカシイ話なのではと身構えてしまいそうですが、読んでみたら、あっという間に最後まで読めてしまいます。著者が身近な生活の中で抱いた疑問は、誰もが一度は考えたことのあるようなものばかりですし、文中で使われている語句も易しいので、自分のほうへ引き寄せやすい本だと思います。 <P>同じことが繰り返し書かれていたりするので、多少全体の流れが見えにくいと感じることもありますが、脳科学が現在直面している、今まで科学が明らかにしてきた「世界」と、主観的に感じる「世界」とのギャップを、「クオリア」という概念(と書くと、何か新しいものと勘違いされてしまうかもしれませんが、クオリアという言葉が指すものは著者が新しく生み出したものではありません、念の為)をkey wordにして真摯に解き明かしていこうとしていきます。
最新の脳科学の知見から「意識」を論じていると。<BR> 「クオリア」なる新しい概念がキーワードになっていると。<P> そういう触れ込みにつられて買ってみたのですが、ちょっと待て。<P>「クオリア」ってそれは現象学の考え方を脳科学に採り入れる際に脳科学者が名付けた概念のようだが、それを使って論じている話の内容、言っている事はフッサールやシュッツが遙か昔に問題として考えていたものそのままではないか。特に前半。現象学や構造主義をかじった事がある人なら、何をいまさらというような基本的な問題の再確認しかしていない。議論のツールの一つに単に「クオリア」という新しい名前を付けただけである。<P> たしかに議論の態度は丁寧だけれども、古い在庫商品を化粧替えして新製品に見せかけて売りつけているような印象が強い。学部生のための哲学入門としては良いであろうが・・・・。
あれもクオリア、これもクオリア、「赤の赤さ」も「信じることと知ることの違い」も、みんなクオリア。すべての根源にあるのはクオリア。そしてクオリアは生成。<BR> クオリアの重要性が分からないのは、どこかに欠陥がある。僕(著者)も30歳までそこに気づかなかったが、ある日、ついに覚醒したのだ!<P> 敵役は機能主義、すなわちSR図式(と著者は単純化する)。こいつらは生成とその痕跡を取り違えているだけだから、ダメ。クオリアの問題に真正面から取り組むことで、きっと脳科学は錬金術ならぬ錬心術から脱皮し、ブレークスルーを達成できるはず。今はぜんぜん先が見えないけど(なにしろ問題が難しすぎるんだよ・・・)、この道を信じてがんばろう。<P> というような話で、しかしこの構図は基本的にベルグソンだと、私は思う。巻末近くで唐突にデリダやドゥルーズの名前が登場して、ポストモダニズム擁護を展開したりするところも、この著者の隠された準拠点を示しているのではないでしょうか。文献リストにはどちらも登場しませんがね。<P> 加えて、文章の雑さも気になりました。「かの天才アインシュタイ」だの「天才ニュートン」だの、「モーツアルトの天才」だのがバンバン登場するのも気恥ずかしいし、クオリアvs機能主義の善悪二元論的な展開も、ベルグソンはもうちょっと繊細に論じたよ、と言いたくなりました。