著者は、「秘伝 中学入試国語読解法」(新潮選書)を皮切りに、高度なテクスト読解理論を駆使して、中学入試、大学入試などの小説問題における高度な読み解き法を提示してきた。<P>著者の従来からの一貫した主張は、「(特に)小学生を対象にした教育空間では、子供に一定のベクトルの道徳や倫理の枠内で教師からの問いに答えるよう求めている。非道徳的な問いは極めてイレギュラーで、非道徳的な答えは間違いとなる」ということである。<P>実は自らも教科書編集委員を務めているはずの著者が、いざ小学校の国語教科書(光村図書版)の作品内容を検討しだすや、教科書の採る単調かつ陳腐なベクトルを、完膚無きまでに分析して暴き出してしまう。<P>著者は作品に対し、多層的な読みに耐えるレベルを求め、有名中学校の入試問題にすら、底の浅い単調な出題を批判し、高度な注文を付ける。そういう著者にとって、小学校の国語教科書の退屈さは堪え難いことと思う。著者の分析を読んで、これでは子供も退屈だろうな、と妙に納得した次第である。
著者の「お受験シリーズ」を追っている読者なら、本書の出現は容易に予想できたであろう。著者がそう予告しているからである。そういう意味で、本書はまさに著者の書きたかった本音の部分が噴出している本だと思われる。実際のテクスト分析が為されている部分よりも、まえがきに当たる第一章のほうが面白いくらいである。<BR> さて、国語教育はソフトなイデオロギー教育である、という著者の主要は同意できるし、また未来の国語教育を「リテラシー」と「文学」、つまり評論と小説のふたつに分割するという提案も頷けないことはない。問題は、現在の教師にそれだけの能力がないこと、そしてもっと重要なことは時間がないことであろう。それは政治の問題であり、著者の守備範囲を超えてしまうのは仕方がないかもしれない。<BR> また、わたくしの若い頃は、教科書に収録されているというだけで、その作家(著者)の作品を読む気がしなくなったものだ。つまり、教科書に載っている作品は読まない、ということが暗黙の共通了解になっていたように思うのだが、逆に最近の学生は教科書の文章をしっかり読むのだろうか。島田雅彦が「楽しいナショナリズム」のなかで、島田の作品はアブナイから読むな、と教師から言われてそれを実践していた学生に仰天するエピソードが出ているが、教科書に載せられない「アブナイ」作品をむしろ喜んで読む、という生徒の良識が残っていないなら、むしろそちらを問題にすべきだと思われる。
OECDが世界41カ国の15歳に対して実施した国際学習到達度調査(PISA)で読解力が8位から14位に落ちた。その原因は「ゆとり教育」だとマスコミが騒いだ。<BR>しかしその原因は、出題された問題の考え方と国語教科書の求めるところの違いだと筆者はいう(PISAの出題内容の引用が貧弱なのでネットからダウンロードして読み進むとよい)。<BR>日本の国語教科書では、感想は一つしかなく、それが正解となる。すなわち道徳の教科書であり、読解力を養うための教科書ではないと主張する(本書の主旨であり、カバーにもその旨は記載されている)。<BR>実際に小学校と中学校の教科書についてその傾向を分析し、?の付くものも含めて面白い見解を示してくれる。<BR>国語を楽しくするのもつまらなくするのも、結局は教える教師次第かもしれないけれど。