なぜならユーモアのセンスに欠けるから。<P>本書はオタク第二世代の著者による「萌え男」論である。最近、新聞等でも目にするようになった「萌え」現象をクリアに整理する議論を期待して手に取ったのだが、内容的にはイマイチであった。<P>著者はどうやら「萌えは社会を救う」と主張したいらしい。202ページには、ゴシックで《燃えが挫折すれば家族も滅びる》とある。これは人目を引くための逆説などではなく、本気であるようだ。いわゆるトンデモ本ということになるのだろうが、トンデモ説でもユーモアのセンスがあれば読み物として楽しいが、本書は残念ながら自己弁護=自己正当化に終始している感がある。<P>同じちくま新書なら小谷野敦『もてない男』の方がよい。情報量も多いし、論理の鍛え方が違う。「萌え」の基礎文献は、今のところササキバラ・ゴウ『美少女の現代史』(講談社現代新書)ということになるだろう。評者は、刊行が予告されている四方田犬彦『「かわいい」論』に期待している。
実は現代社会論の本です。最近、『電車男』などでオタクと呼ばれる男性層、「萌え」というジャンルがよく見られるようになりましたが、「オタク(萌え)男」は日本社会の中では一種の差別対象となっています。<BR>では、なぜ差別されるのでしょうか?この本はそこを突っ込んで、バブル期に構築された「恋愛資本主義社会(男性は女性のために消費活動を行うことが正しい)」の価値観には、自分自身のために消費活動を行う男性は異端児・異教徒であるため述べています。<BR>萌え市場は恋愛資本主義市場とは対立するため、批判を浴びるのだ、と筆者は主張します。「自分らしさ」がこれだけ吹聴される中、自分らしさを追求する最先端の萌え男が批判されがちな現状は少し皮肉でもあります。