本書で提示されてる概念は興味深いです。わりと分かりやすく書いてあります。<BR>同時代のトルストイとドストの根本的な違いとかは、両者の著作をある程度読んだ人には漠然と分かっていると思いますが、本書はそれよりどっこいしょってくらいに広い視野で文学全体を捉えている、に間違いありません。<P>批評家バフチンのドストエフスキーに対する愛情と尊敬を感じずにはいられない一冊。
著者は、シェイクスピアでさえもまだ<ポリフォニー>ではない、と主張しています。と言うより、そもそも演劇では<ポリフォニー>は表現できない、と考えているようですが、全く賛成できません。 <BR> <P>なんの先入観も持たずにシェイクスピアに接すれば、彼の登場人物たちがドストエフスキーに劣らず自立した行動をとっていることは否定できないと思います。だからこそあれほど多様な解釈や演出が可能なのであって、単なる<モノローグ的>な作者の操り人形である筈がない。ーーただし、この二人の表現方法は正反対というぐらい違います。ドストエフスキーは緻密に、すべて詳細を書き尽くそうとします。大変濃密な文章で、とても<哲学的>な言葉の使い方だと思います。一方シェイクスピアからは、言葉をわざと最小限にとどめているような印象を受けることがあります。大変<詩的>な表現です。ですからシェイクスピアの場合には、行間を読む、語られていない声を聴く、という作業が必要になると思います(と言っても、書かれていない言葉を読むことは不可能ですから、実際には書かれた言葉の裏を推理するしかないのですが、これはたとえば沈黙を聴くためにその前後の音に耳を澄ませるようなものだと思います)。ーーもっとも、哲学者たちはしばしば詩人以上に巧みな言語感覚を示します。<BR> <P>本心を言えば、私はシェイクスピアのほうがドストエフスキーより<ポリフォニー>が徹底していると思っています。ドストエフスキーの議論は白熱しますが、シェイクスピアのほうは時々噛み合わなかったり、すれ違ったりします。より自立しているのは、どちらでしょう? <BR> <P>そもそも、私の主観がひとつだ、というのは錯覚かもしれません。とすれば、<ポリフォニー>を考えることは<私>を考えることです。
バフチンのこの著作はドストエフスキーという作家を中心に論じる中で、後年の「他者論」、「間テクスト性」などの、様々な理論に影響を与える金玉石であった。具体的には「多声性」、「カーニヴァル」などのわかりやすい用語で紹介される新しい文学の読み方で、今現代文学を学ぶ人にお勧めの大研究だ。