唯脳論 みんなこんな本を読んできた 唯脳論
 
 
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唯脳論 ( 養老 孟司 )

まず、タイトルが素晴しい。このタイトル自体は筆者が思いついた物ではないらしいけど、このタイトルがこの本の主張を全て言ってしまっていると言ってもいいらしい。要するに、「脳が全て」ということらしい。「脳が世界を作った」というわけでは決して無いんだけれども、この世界を理解しようとする際には、必ず“自分の脳”というものが介在するんだよ、ということだろう。自分は現代物理学をあまり知らないけれども、物理学的な宇宙論には不確定性原理など、必ず“観測者(脳)”がでてきてしまう。脳抜きに宇宙は語れないのであって、脳は物理学に「出るべくして出た」ということらしい。<P>なぜ、脳という“物質”から“意識”というものが生まれるのか? 現代科学の最大のミステリーも、筆者の“唯脳論”にかかれば何も不思議ではないらしいです。このミステリーは、要するに“機能”が“構造”から生じるか、という問題と同義であって、“胃”という構造が“消化”という機能を持つのといっしょということらしい。何も“意識”だけを特別扱いすることはない。“考える”という機能は、脳が自分の構造を維持するための内的必然性に過ぎないのかもしれない。<P>言語の発生についても、かなり面白いことを言っています。言語には視覚的言語(光)と聴覚的言語(音)の二種類があって、それを脳内で無理につなごうとした結果、言語が成立したという事らしい。この光と音という物理的に異質なものの二項対立は、“構造(光)”と“機能(波)”という二項対立や、光の“粒子性”と“波動性”の二項対立などの、“脳が納得のしづらい問題”の遠因になっているということらしい。<P>はっきり言ってこの本は難しいです。一度読んだだけでは、殆ど理解できていない気がします。でも、いろいろと考えさせられる面白い本だと思います。

自分では普段マッタク意識していない脳のこと、でも脳はちゃんと意識している?いったいなんのこっちゃ?「なんのこっちゃ」と脳は意識しいるのである。無意識に意識しているのである。これが、脳の恐いところ。自分が自分でないような気がしてくる。そういう風に、脳は意識しているのである。<P>巻末にある解説にあるように、この本は時代を画する、画期的な本である。とにかく書いてあることが、慣れるまではとにかくコンガラガッテくるのである。コンガラガッテいるのも自分の脳である。コンガラガッテいると脳が言っているのである。では何故か?その答えはあなたの脳に聞いてみてほしい。<P>脳よおまえはドコへ行く、その答えも脳にある!?もとい、この本にある?

 十数年前、ずっとメガネで生活してきた近視の私が、初めてコンタクトレンズをしたとき、見るものすべてが大きく見えて、不思議に思ったことがあった。<BR> 『物の大きさって、いったいなんだろう?』と。脳の中には結局、絶対的尺度の『大きさ』は存在しないというような話にはだから、合点した。<P> 巻末の、澤口俊之という人の『解説』がわかり易かったんだけど、それによると、私の『脳』がバカなので、理解できなかったらしい。<BR> なんだ。そういうことか。<BR> 養老孟司のあとがきによると、この本の前に『形を読む』(培風館)という本があるらしい。<P> そっちを読んで、助走をつけてから、もう一度『唯物論』を読み直してみるとするか。ちっとは理解できるかも知れない。

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