戦後まもなく、まだまだ「外資=悪」と見られていた時代に、日本IBMに入り、同社を1兆円企業にまで育て上げた著者が日経新聞「私の履歴書」に連載したものをまとめた本です。当書が、他の「私の履歴書」シリーズと大きく異なるのは、単なる成功物語ではなく、著者自身が米国本社での研修の際、使用した「セル・IBM・イン・ジャパン、セル・ジャパン・イン・IBM」が描かれていることです。即ち、戦後、日本のメーカー保護の姿勢を取っていた通産省等との間で、いかに日本IBMを根付かせるか、逆に、米国IBM本社には、日本の商慣習をいかに理解させるかという苦闘が描かれている点です。著者は持ち前の合理精神でもって、これを克服し、今の日本IBMを作りました。<BR>その他にも、通産官僚として、大分県知事の平松氏、ソニーの盛田氏との交流等、興味深いエピシードも盛り込まれており、面白く読める1冊です。
IBMという典型的なアメリカの多国籍企業が、こんなにも日本の中で認知され、調和していくための紆余曲折があったのだということにとても驚かされました。IBMは優秀で、その技術力、営業力、ブランド力を背景にトップダウンで国外に出て、市場を(当然のように)取っていったんだと漠然と感じていたからです。<P> おそらく、国産企業よりもずっと謙虚に日本の市場を研究し、自らを律し、想像以上のハンデを負いながら今日の日本IBMという企業があるんだということに純粋に感動しました。<P> IBMの営業マン、営業ウーマンは、たしかに、典型的な紺のスーツに白のYシャツ姿であり、礼儀正しい印象があります。個人の自覚に依存しているのではなく、会社として外資のハンデ(世界のIBMでもこの本を読めば日本では外資であることがいかにハンデであったかが嫌と言うほど解ります)を負ったなかで企業としてもスタンスが出来上がったものなのでしょう。<P> いまや国内のコンピュータメーカーでのIBMのサービス満足度は国内競合他社を引き離して1位だという調査結果も出ているそうです。<P> 努力なくして繁栄なし。世界のIBMでもやるべきことをちゃんとやってそうなっているんだと言うことがよくわかりました。
日本で最も成功した外資系企業のIBM成長期の社長だった椎名氏が、日本経済新聞に連載した「私の履歴書」の文庫版。<BR> IBMが戦前から日本に進出していた会社だったことには驚いた。<BR> アメリカの論理と日本の論理のせめぎあいがよくわかる。そして、そのせめぎあいにより、文化の違いを克服した経営が現在の日本IBMを作っていったことがよくわかる。<P> 国際化社会ゆえに逆に日本というアイデンティティーを持つべきことがよく伝わってくる。