フランス料理界の重鎮。とはいえ苦労なく頂点に登りつめた訳ではない。うまくいかなくても、腐ることなく出来ることを徹底する。修行とは自らを練り上げていくことを体現してきた生きた教材である。<P>フランス修行、東京オリンピック、テレビ出演と巡ってきたチャンスをものにする。その秘訣は準備の徹底にあった。本書の中で「段取り八分」という言葉が実に印象的だ。人にも恵まれたというが、日頃の真摯に取組む姿あってこそだと思う。<P>戦争体験が生きている喜び、好きな道にのめりこむ幸せを後押しする。コツコツ努力した道のりから僕達が学ぶことは多い。先ごろ亡くなったのが大変惜しまれる。
長く帝国ホテルの総料理長を務められ、先日、惜しくも亡くなられた村上信夫さんが「私の履歴書」に連載された文章をまとめた本です。<BR>「私の履歴書」をまとめたシリーズには、有名企業のトップまでを歴任された方のビジネス観等をまとめた本が多いのですが、氏の場合は帝国ホテルの専務までされたとはいえ、やはり料理人としての側面が強く、他シリーズと同内容を求めらる方にはお奨めできません。但し、日本最初のヴァイキングを出された時、東京オリンピック選手村の料理長を務められた時、天皇陛下やエリザベス女王等、名だたるVIPを迎えられた時、ライバルといわれた他ホテルの料理長との関係、帝国ホテルを住居とされた有名人との関係等々、氏でなければ書けないエピソードが満載で面白く読めます。また、料理人の世界での師弟関係のあり方は、上司・部下の関係を考える上でも参考になり、他シリーズのビジネス書とは違った読み方が楽しめる1冊です。
60年余りにわたって帝国ホテルの伝統を守り続けてきたフランス料理の第一人者、村上信夫の自伝である。それは村上一人の人生を記すだけにとどまらず、帝国ホテルの歴史、さらには高度経済成長期から現在までの日本の動きを、料理という側面から生き生きと描き出している。<BR> 村上の経歴は極めてユニークだ。12歳で浅草ブラジルコーヒーに入り、銀座つばさグリルなどを経て帝国ホテルに入り、その後パリの名門、リッツなどで料理の腕を磨いて、帰国後は帝国ホテル新館料理長に就任する。1964年の東京オリンピックでは、選手食堂村の料理長として奮闘し、96年まで帝国ホテルの総料理長として活躍した。<BR> 「メニューには、料理人の力量がまともに出る」という。その値段に応じた料理が出せるのかどうか、それが料理長の技量をはかる一つの物差しである。高い料金を示すには、それなりの技量と自信が求められる。その物差しを絶えず意識せざるをえなかった筆者は、新館料理長になってからの38年間、帰宅してから1時間、料理の勉強を欠かさなかった。その努力の積み重ねと、80歳を過ぎた今でも、料理に対する夢と情熱を持ち続ける姿勢に感動させられる。