出版されて、中身も確認せずに購入した。野崎訳のライ麦畑で...は読んでいたし、村上春樹さんは長年のファンだからだ。訳が違うとこうまで内容が変るものかびっくりした。野崎訳では問題をたくさん抱えた時期の米国の若者のささやかな抵抗とナイーブさを感じたが、村上訳を読んで、びっくり、これは今の日本とそう変らない。行き場と目的を失った少年の支離滅裂な言動が大きな共感を誘う。米国らしいのは支離滅裂な行動とそれが見付かったときの大人への言い訳が、よくある映画の一コマのようだ。アメリカ人は少年時代からこういうウィットの効いたアメリカンジョークが身についているのだろうか。
なんでもインタビューを信頼すると、春樹さんは野崎訳は青春時代1回読んだきりで、今回翻訳するにあたって参考には全然しなかったらしいので、野崎訳と比べてどーのーこーの言うのはナンセンスな気がする。<P>とにかく「ノルウェイの森」「世界の終わり~」なんかが大好き!って村上ファンは正直あんま読んでもおもしろくないであろうし、元来のライ麦ファンにとっては、究極のハイライト「ライ麦畑の捕まえ役になりたいぜ!このやろう!」の訳がいまいちピンとこないと思う。(途中で訳注が入るのはかなり興醒め)それなりに口調が新鮮なのだが、単にそれだけ。<P>はっきりいってそれほど話題にすべき本じゃないと思った。
まず、昔読んだことがある人もはっきり覚えていないなら読んでほしい。前の訳のいいフレーズが抜けてたりするけど、ラスト間際の一連のシーンの描写は一生心に残るくらい、純粋なやさしさに満ちている。ここがはっきり思い出せない人はもう一度読もう。そもそも、訳を新たにすることで、なんかどっちがよくてどっちが・・・みたいなよけいな観念が入ってしまうのが残念ではある。原文と比較したりいろいろ批判している人に言えるのは、得た知識を人の批判に使うとは、それこそ無駄というもの。完全な訳なんてそもそも難しいのだから。大事なものを見失わなければそれでよし。ただ祈りたい気分になる・・・何へ何にとかじゃなくて、汚れた思考なんかなしで・・・