■前衛といわれる現代作品にとどまらず、<BR>映画音楽、テレビ番組、CM、ポップ・ソング、ビートルズの編曲にまで及ぶ膨大な武満徹の作品群。<BR>今私の手元に武満作品のCDはわずかしかなく、<BR>氷山の一角をかじっているに過ぎません。<P> その中のお気に入りは、この書物でも紹介されていますが、<BR>「明日ハ晴レカナ、曇リカナ」という曲のタイトルからとられたCD、<BR>混声合唱のための<うた>です。<BR>武満が音楽の道に進むきっかけになった最初のきっかけは、歌。<BR>それもクラシックのジャンルではなく、シャンソンだったといわれる。<BR>この書物でも、声を伴った作品がその導入で取り上げられています。<P>■ ここでは<SONG>の中の「小さな空」に関わって<BR>興味深いお話が紹介されています。<BR> ある児童自立支援施設での音楽の授業で、<BR>この曲を取り上げたときの出来事。<P> 先生がこの曲を子どもたちに歌って聞かせたところ、<BR>子どもたちがしんと、涙を浮かべてきいたという。<BR>いろいろな事情を抱えて施設に入所してくる子どもたちには、<BR>どんな親でも、自分にとって愛情を示してくれた一瞬があるり、<BR>後生大事にその一瞬だけを記憶として携えて生きている子が多い。<BR>「小さな空」には、そういう「一瞬の幸福」を大事にする心がある。<BR>だからこの曲を聞くと涙があふれるんだという。<P> 私にとってこの曲集は、一時“歌を忘れたカナリア”に<BR>なりそうになっていたときに、私の心に静かに寄り添い、<BR>再び合唱の世界へ呼び戻してくれるきっかけをつくってくれた<BR>大切な曲でした。<BR>「誰かがどこかで耳にした音楽的記憶を呼び覚ます」なにかを、<BR>この曲は持っているという。その通りだと思います。 <P>■ この本のどこかにありましたが、<BR>とにかく武満作品、武満音楽を聴くこと。<BR> わかるとか、わからないとかは関係なく、聴いてみること。<BR>そこで何か自分なりに魅かれるものがあれば、<BR>それが“タケミツ・ワ-ルド”への入口だと思います。<BR>「武満徹-その音楽地図」とあるタイトルの意図は、<BR>そんなところにあるのではないでしょうか。
武満徹=ノヴェンバーステップスぐらいの<BR>知識しかなかった自分にとっては、<BR>すごく親切な本でした。<P>この本自体が、著者のいう「回遊式庭園」<BR>そのものであるかのよう。<BR>予備知識を持たずとも<BR>読むだけで武満の音楽世界を<BR>すみずみまで味わえるという<BR>構成になってます。<BR>言葉は平易だけど内容は深い。<BR>いや、武満の音楽世界が<BR>深いというべきか。<P>現代音楽理解の足がかりにも<BR>少しは役立ったようだ。<BR>一読後、武満の音楽が<BR>すごく優しくきこえてきた。
いきなり「ノヴェンバー・ステップス」ではなく、と始まる割には、「系図」と「ソングズ」から、いきなりテープ作品を紹介する第1章。秋・冬のタイトル曲、ピアノ、ギター、フルート曲、映画音楽、水、と章が進むに従って、ただタイトルを羅列するだけになってしまう。著者自身が推薦曲を選べない本が入門書といえるだろうか。<P>「一度耳にすれば口ずさむことも容易だ」(ソングズ)は楽譜を見たプロでも正確な音を取るのは困難だし、「(タイトルを)西洋語に移しかえる」(秋庭歌一具)は話が逆で元々武満が英語で付けたタイトルをあとから木戸敏郎と日本語訳したもの、「未来への遺産」の放映期間は「半年」ではなく1年半、など初歩的なミスも目立つ。<P>あとがきによればたった6日間で書き上げたとのこと。しかも締切ぎりぎりになった弁解まで書いてある。また、入門書なら実名を出してまで著者の私的な話題を書くのはどうか。<P>本書に何度も出てくるが、そもそも音楽が「わかる/わからない」を「好き/嫌い」に対応させるのは間違いだ。「わからない」がもう一度聴きたくなったら「好き」なのではないか。それが武満作品の魅力でもある。