8巻辺りまでは楽しく読めたのですが後は最期まで作者の云わんとしているところがはっきり伝わってこなかった。元々陰陽師は聞く人を煙に巻いてありがたがらせていたわけなので、岡野氏もその方法論を適用したように見えました。これを読んでよく分ったという人はいないと思う。そういうセンテンスを引用して、これがおかしいと証明しようとすると本がもう一冊できてしまうくらい、意味不明な言い回しが多かった。もうused bookとして売り出そうかと思っています。
この長くて不思議な物語も壮大なスケールで完結を迎えました。<BR> 今までの物語にちりばめられた謎が見事に融合して一本の大樹の様な作品に仕上がりました。最終巻までがまんして読み続けてよかった!(理解困難な表現も多いので独善的な結末を心配していましたが。)<BR> 物語はなぜかツタンカーメン王の物語とシンクロします。考えてみればファラオも陰陽師も、数理・幾何から森羅万象まで宇宙の真理を追求する者(現代でいえば科学者)であったということ・・・ルクソール宮殿と平安京に込められた「呪」を解明することによって、それを納得させてくれました。(今まで出てきた数理うんちくも伏線だった!)。<BR> 不老長寿の比丘尼・時空を超えた物語の連なり・・・。何かを思い出させられると思ったら、やっぱり最後には「火の鳥」が登場しました。そうだったのか!<BR> 長い長いフィナーレも一つの哲学に収束しました。安倍晴明の長い物語も私達の「生」も壮大な時空の中のほんの小さな輝きであり、それを知ることでみずからを祝福できるということです。
確かに原作の内容を求めて読んだら、この作品は途中から完全に原作を無視しているとしか思えない。<BR>そう読めば違和感を感じるのは当たり前の作品だ。<BR>だが、途中まであれだけ原作に忠実だったものが、突如として全く別の方向に向かい、原作とはまた違う幻想的世界を繰り広げたことには感嘆する。<BR>この原作離れも、ある種興味深い出来事だったのではないだろうか。<BR>これだけ原作と離れてしまえば、原作を害することも無いように思うし、元は同じ2つの作品が、異なる道に別れていったことで、陰陽師の世界を、私たち読者はいろいろな角度から覗き見るという結果になったように思う。