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この時代に想うテロへの眼差し ( スーザン ソンタグ Susan Sontag 木幡 和枝 )

 サラエボでの公演、そしてそれの準備、周辺時代に緊迫感、みに瀬間迫ってくるものが感じられる。簡潔な文章の、込められた深遠なな思い。…<BR>しかしそれに比べて、「世界の大江健三郎との往復書簡」はなんだ?<BR>どうして、大江という人物は、世界に向けて、嘘を発信するのか?<BR> 良識な新聞が、部数不振で、大衆的新聞が伸びている。前者は「朝日新聞」であり、後者は「読売新聞」であろう。「読売」が卑俗際まりないとは、思うが、対して「朝日」が良識溢れる新聞なのか?ただ総中流思想を広めて、社会から緊迫感を奪っただけではないのか?<BR> 日本に超国家的思想が、頭を擡げつつあるというが、どれを指すのか?小泉の「靖国」参拝なのか?それは、単なる「遺族会」の集票活動であると、分からないのか?郵政が、反自民になった今、頼れる数少ない集票組織を大事にした、ただの政治パフォーマンンスに過ぎない。<BR> 憲法改正運動を悪の顕現のように、大江氏はいうが、占領憲法を未だ守り通していることが、占領体制の継続を、アメリカからの真の独立否定を意味するのではないか?憲法制定の経緯自体戦後のどさくさまぎれの感を拭いきれず、国民投票に掛けて、国民の真意を尋ねるほうが、よっぽど民主的だと思います。<P> 

前書きにもあるように、通常の著作としてではなく、ある意味実験的に書かれた文章がまとめられたこの本では、戦争やテロといった暴力に対する人間のあり方についての問いが、広範な思考と深い内省の軌跡として展開されている。<P>9月11日の2日後、1週間後、数週間後と時間を追って書かれたコメントには、彼女のような識者でも、情報の欠如・錯綜の中で事実を見極めようとしてもがく姿がある。また、外の世界の大きな力がうねるように動き始める中、自身の見識に立ち戻って、出来るだけ透明な眼鏡で情報を選り分け、警鐘を鳴らす姿は、まさに“闘う作家”である。こうした識者の情報整理過程を垣間見ることが出来るのは稀有な機会であり、大地震なども含めてこのような災厄が自分の身に降りかかった時、いかに対処すべきであるかのヒントとも言えるかもしれない。<P>紛争中のサラエヴォでの「ゴドーを待ちながら」の上演記は、センセーショナルになりがちなジャーナリズムに反し、驚くほど優しい眼差しで書かれている。紛争の中におかれた人びとの平常心と、それを支える文化や歴史。ジョークを言ったり、自らおかれた状況を「サイエンスフィクション」或いは「中世」に生きているみたいだ、と言わずにいられない感覚。しかしその一方の紛争の外では、その紛争に対する単なるものか、或いは政治的理由による「無関心」があり、そしてジャーナリズムによって突如として高まる国際的世論。旧ユーゴスラビア紛争は、彼女が「ゴドー」を上演した1993年から更に続き、コソボ問題も含めれば鎮静まで2000年までかかっているが、自ら戦場に赴くことで自分の中からの見方・捉え方を鍛え、確認する彼女のやり方は、情報の偏りはあったとしても、対人間・社会として不変的な価値判断を生み出すものである。

現代のアメリカには稀で貴重な意見を述べ続ける評論家だった。<BR>単なる平和主義者とはとてもいえない人物だった。<BR>彼女を失ってしまうのは、非常に恐ろしいことだ。<P>この本にも一般的には、とても簡単に辿り着かない意見が詰まっている。<BR>すらっと読んでしまうと疑問が浮かびつづける。<BR>何か掴むために何度も読む。<BR>すると感じたこともないリアリティが伝わってくる。<BR>そんな能動性が必要とされる本である。

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