~興味を持って買ってみたが、とても全部読めなかった。<BR>難解な言葉、マンガ批評ではなく、マンガを踏み台にした近代哲学、近代思想を展開したかっただけのようにしか思えなかった。<BR>やたら概念化した言葉(プロトキャラクター性、前キャラクター態etc)がぞろぞろ出てくるが、それらの肝心な説明も十分にしないままどんどん読者を置き去りにし、はやばやと著~~者は結論を出してしまう。<BR>最後の第五章の内容が一番、この本のテーマとする大事なところであると思うのに、<BR>その部分は「~と思われてならない」など主観的感想、直感的発言を連発し、結論へ至る論理的飛躍が目立つ。<BR>注釈も抽象的でとても専門的知識がない人には、ついていけない。<P>結局ストーリーマンガが、マンガの生来の性質を隠蔽し、その元凶が~~手塚崇拝だといいたいのだろうか?むしろキャラが、共有出来るテクストから離れ、マニアックな視点になることで、どんどん閉じた系になり、部外者が感情移入できない領域になっていきはしないか。<BR>「マンガがつまらなくなった」というのは、小さな価値集団に分かれた個々のキャラファン同士が共有する物語がいらなくなった状況だが、それはマンガ言説の問題~~だけではないだろう。社会と密接に関わっているのだから。~
この本は漫画評論の中に新しい視点を<BR>挿れる為に書かれた一冊だと思う。<BR>その試みを手掛けたと言うだけでも賛嘆に<BR>価する一冊かと。<BR>資料引用も適切でかなり読み易く感じた。
~著者はいがらしみきおの「ぼのぼの」を、「起承転結」を離脱し、「オチ」をなくすことで長いエピソードを語ることを可能にした画期的作品としているが──それってチャールズ・M・シュルツの「ピーナッツ」が、ずっと前(60年代)からやってたことじゃん! たしかに「ピーナッツ」は外国マンガだけれど、日本でも単行本が80数冊出ているロングセラーだし、い~~わゆる「キャラ化」に関しても、ずっと先を行っていたように思えるのだが?~