陸軍と海軍がベンツ社の同じエンジンに別々にライセンス料を払い、それぞれが別の会社に製造を命じていたのは現在の省庁間の対立を彷彿させる。また、パイロットと航空機を確実に失う特効攻撃は、ヒューマニズムを持ち出すまでもなく、実務的合理性の上から非効率的だと言える。その他、誰にでも操作可能な機器を開発するより名人の育成に重点を置いたこと、航空機工場と飛行場が数十キロも離れていたこと、民間人や女性を活用しなかったことなど、これでは米国に勝てないと思える事例が数多く紹介されている。<P>米国の物量作戦によって日本は負けたのでなく、思想、思考方法、精神性、あるいは文化の点で既に負けていたのだと思う。日本の経済力や資源が米国に勝っていたとしても、戦争には負けていただろうと思った次第である。
チャーチルによれば、戦争とは大小の失敗の壮大なカタログであるそうだ。世界で一番戦争上手なアングロサクソンの首魁にして、このような意識を持つのであるから、我が国にいたってはなにをか言わんやであろう。敗戦までの致命的な大失敗をあげればきりがないし、既に言い尽くされた感がある。ところが本書では、あえてそういった日本軍・政府の大失敗には言及せず、歴史に記録されない些末な失敗の積み重ねに焦点を当てている。意欲的な著作である。ただし著者の専攻からか、視点は工学的な分野に集中しがちで、宣伝惹句にあるような「文化人類学」的アプローチは、やや希薄なように思えた。<P> たとえば、軍人の独特の価値観、意思決定のプロセス、戦術評価の仕方などにはどのような特徴があったかなどを、名人英米の場合と比較すると、文化人類学的に立体的な像が浮かんでくるのではないだろうか。<P> おしなべて茶屋酒と芸者を好んだ高級軍人たちは、米英の兵士はダンスパーティーにうつつを抜かす軟弱ものだとあなどっていたふしがある。この世界像はどこから学んだのだろうか。また、島崎藤村作とされる「戦陣訓」の中の問題の一節「生きて虜囚の辱めをうけず」について、この敢闘精神の文学的表現が、絶対厳守の法令文のような拘束力を持たれるにいたった経緯など、大失敗にいたる小失敗は文系の分野でもまだまだ数多くある。<BR> 本書の続巻も「ドイツ軍の小失敗」も、ともに興味深く読めたが、現代テクノロジーやORの視点からの評価は、結果論のようで、ちょっとずるいと思えた。
戦略なき日本軍が場当たり的に繰り返す失敗。まったく「カイゼン」しない硬直した官僚組織でもある日本軍の本質をえぐる。第二次世界大戦は勝てるはずのない戦争であった。との教訓をこの本から導き出すのは簡単だが、すべての組織に共通する課題の提示として読めば現代のビジネス、組織運営への教訓、提言にもなる。むしろ戦訓として読むより、ビジネス書、組織論の本として読むべきである。(松本敏之)