久しぶりに『血(知)が騒いだ』本でした。「なるべく楽をして自分だけが楽しければ良いや」という風潮の現代に、このような人物が存在しているなんて驚きでした。「猪突猛進」「疾風怒涛」という言葉では表現できない凄みさえ感じました。それは単なる『山師』的なものではなく、しっかりした人並みはずれた『知識』の裏づけがあるためでしょう。この本を読めば、「通常言われている『自然保護』の意味がどんなに異なっているか。」わかると思います。単に植林をすれば良いのではないのです。『潜在自然植生』なる概念が最も大事なことであり、その代表例が『鎮守の森』です。著者(一志治夫)が書いているように、この植物学者(宮脇昭)は「単なる学者ではなく、自分で率先して人々を動かし、また自ら先頭に立って直接自分で木を植える。しかも、宮脇の発する言葉には哲学があった。」と述べています。ぜひ、ご一読を!
植林を真の森の再生、緑の再生につなげるためには、宮脇理論が必要であることを初めて知った。「どのような木を、どのような割合で、どのように植えればいいのか」まで考えてこそ、木はその土地に根付き、その土地の鎮守の森となる。植林活動に興味を持つ者は、この本を通じてどのような植林活動が真の植林活動となるのかを知るべきです。
環境への問題意識が高まる中、環境問題に対する告発や啓発の書は多い。<BR>しかし、そういった本の多くは-「では、どうしたらいい?」「私たちは何をできる?」-このような問いへの答えまでを用意せず、私はきまって暗い闇に無責任に放り込まれるような読後感を得る。<P>しかし、だ。『魂の森を行け』は単なる啓発の書にとどまらない。宮脇教授の「魂の森」に対する熱意を追いながら、私は自らの環境への問題意識が足元から固められていくのを感じた。いわば、頭でっかち(シャロー)ではない、確かな環境保全活動(ディープ)に一歩踏み込む方法を会得したことを感じた。そして、「人生に一度は必ずその土地古来の植生に基づいた植林活動を行おう」と決し、すがすがしい読後感を得た。