意識に直接作用する超自然の実在を安易に神と呼ぶくらいなら悪魔と呼んだ方が余程ましだ、と私は普段から言うことにしている。ハンコック&ボーヴァルの最新翻訳である本書においては、キリスト教の伝統にグノーシス・カタリ派・マニ教を前提にし神が当初より善悪二元論によって理解されていたことを示している。これは今日のキリスト教理解からすれば悪と悪魔の存在を認めることにおいてだけでも過激な理解とみなされようが、悪魔という理解が超自然の実在のもっと根源的な理解にあるという本来の立場からすればまだ物足りないものである。少なくとも私だったらこう言いたい。意識に直接作用する存在を表現する言葉を探していた古代人は、それを自分たちの能力を超えた神と呼ぶしかなかったが、自身の不信仰に理由付ける以上のどう考えてみても嫌悪すべき作用を受けていた。これは二元論ということに特徴があるのではなく、人間は古代より現代まで超自然の実在から妨害を受け続けているということの方にある。善悪が問題なのではない。読者はともすれば退屈かも知れないが、そういう作用が実在しており、人間はそれを神という言葉以外にろくに説明もできないままで、それが良き作用だけならばよいが明らかに回避すべき作用となるということ、それを忘れてはならないということが根本にあったのだ。
グラハム・ハンコック、最新作はオカルトに挑戦!みたいな感じです。「タリズマン=護符」と言う意味ですが、この本書(上巻)は「異端・カタリ派とはどのような組織だったか?アレキサンドリアとはどういう都市だったか?」というのに大半が費やされていてタイトルとギャップを感じますが、面白いです。もっと理解や奥深く追求したければ、角川春樹事務所・「知の起源」や学研エルブック・「カモワンタロット」を読んでからの方が面白いと思います。関連本として工作舎の「アレキサンドリア・プロジェクト」があります。今回は共著ですが、ハンコックは「神々の指紋」以来です。