■どんな人物だったのか、今まであまり知る機会がなかったのですが、この書物に出会い、<BR>加えて氏が大阪生まれだと知り、<BR>少し身近な存在として感じられるようになりました。<BR> 没後40年ということも重なって、今少し話題になっています。<BR> 私にとっては、もともと歌曲で合唱曲に編曲された「沙羅」(清水重道作詞)が<BR> 印象に残っています。<BR> 丹沢/あずまや/北秋の/沙羅/鴉/行々子/占ふと/ゆめ<BR> かつて使った楽譜には、長唄、浄瑠璃もどきの古典的な発音でとか、<BR> 狂言風にといった書き込みがされています。<P>■氏の代表曲、氏50歳の作品「海ゆかば」。<BR>ちょうど盧溝橋事件に始まり、日本が中国・南京を陥落させた頃に作曲され、<BR>戦争末期、日本軍が敗退し玉砕を重ねたとき、それを報じるラジオから流れていた曲です。<BR>私にとっては、映画やテレビドラマでの出来事でしかありませんが・・・。<BR> その一方で、この曲を聞くと「やめてくれ!」と叫びたくなる戦争体験のある方がおられるのも事実です。<BR> 戦後60年という節目に当たり、日本の歩んできた歴史とともに、<BR>氏の精神的、芸術的な歩みについて、今こそ冷静に振り返って見ることが必要ではないか、<BR>そんなことを考えさせられた一書です。
今世紀に入ってからか、信時潔とその音楽がしばしば耳目にかかるようになってきた。「海ゆかば」(1937年)からは70余年を経過し、信時没後40年。それらが歴史の素材として扱われ始めた今、この本は、「海ゆかば」とともに進んでいた戦争を歴史に位置付け直そうとする流れに浮かんでいるように思われる。しかも、極めて観念的に、非実証的に描かれるという印象を残して。<P>「海ゆかば」は、学徒出陣や白布で包まれた遺骨の映像が無くとも、優れた音楽であると思う人は多い。「海道東征」の与える感動は、最近のCD販売を支えている要素であろう。それがなぜかに関して著者は、バッハなどに見られる民衆に根ざすコラールとしての性格などを指摘する。さらに、著者の力点は、信時潔の音楽を「明治初年的異形」と歴史の「正統」とに土台をおくとするところにあると思われる。それは、多分、あの戦争を誤りとするのではなく、進歩への貢献の側面から見ようとする流れを印象づける。しかし、それらが具体的にどういうことなのかは、それら単語がくりかえし使われるにもかかわらずいまひとつ脳裡に像を結び難い。著者の他の著書を合わせ読む必要があるのかも知れないが、さしあたって私は、信時の音楽について知りたいのであって、歴史の理論まで勉強する余裕がない。<P>保田輿重郎などの「日本浪漫」主義が戦争をすすめる役割を果たしたように、著者の主張がきな臭い昨今の流れを信時の音楽を題材に押し進め、後世に「新浪漫」主義などと分類されないよう祈りたい。