久しぶりのパンチの効いたノンフィクション。グリコ森永事件の重要参考人の半生記自伝。火のない所に煙はたたないのもよくわかる。京都のやくざの跡継ぎとして生まれ、アウトサイダーのトレーニングのような幼年時代を過ごし、早稲田大学時代は共産党の分子として、警察、公安、全共闘と抗争し、その後、稼業の解体屋の後継ぎにもどる。ところが解体屋の経営は倒産寸前で、そのやりくりのため法律違反すれすれの悪いことを数々。バブル時代の地上げ代行も手がけ、発砲され入院したことも。警察から目をつけられ、グリコ森永事件の重要参考人として逮捕寸前までいった。事実は小説より希なりという一例か、昨今はフィクションよりもノンフィクションの悪漢小説がおもしろい。
不思議な説得力、爽快感が残る物語である。こういった人物がいたこと自体が非常に驚きであり、この本が多くの人に受けたのは、多くの人が、こうありたい、こういうまっしぐらに生きたい、といった憧憬があったのではないか。それにしても、おもしろい。たちまち宮崎学の大ファンになりました。
発売直後は、あの「キツネ目の男」が書いたというだけで大きな話題になった本書だが、ひとたびページをめくった読者にとって、著者がグリコ・森永事件の犯人であろうがなかろうが、そんなことはもうどうでもいいことになる。これは一人の男の過激な半生記であり、またヤクザの変遷記であり、同時に類い稀な分析力をもって綴られた戦後50年史だ。<P>ヤクザの息子として生まれ、抗争を脇目に悪ガキとして育った子ども時代。学生運動に燃えた早稲田時代。そして傾いた家業を立て直したい一心で、掟破りをし尽くした京都時代…。熱い。濃い。暴力的だがこの上なく爽快。こんな風にかっこよく生きてみたいと思わずにいられようか。上巻では、特に学園闘争のくだりが最高に面白い。