人に文章を書かせるのは頭では無く、経験だということがこの本で良く分かる。少年時代からやくざの息子として破天荒な生活をを送り、暴力と騙し合いの世界で青年時代を過ごし、不動産ブローカーとしてバブル期の喧噪にもみくちゃにされながらもカネに生きない潔さが心地よい。これが本当に解体屋の文章かと思うほど氏の筆致には迫力がある。<P>新聞を見るとGDPとかマネーサプライと云った字が躍っているが、結局は表の世界の話で、裏の世界のGDPはどうなっているのか気になってくる。本当にこの国を動かしているのは誰なのか知りたくなってくる本である。
「どんな相手であってもなめてかかってはならない。どんな人間にもその人間の背景が備わっている」含蓄のある言葉である。最近読んだ本の中では、もっとも印象に残るものであった。時代を捉える感覚が、非常に鋭いと思う。
発売直後は、あの「キツネ目の男」が書いたというだけで大きな話題になった本書だが、ひとたびページをめくった読者にとって、著者がグリコ・森永事件の犯人であろうがなかろうが、そんなことはもうどうでもいいことになる。これは一人の男の過激な半生記であり、またヤクザの変遷記であり、同時に類い稀な分析力をもって綴られた戦後50年史だ。<P>家業再建のための苦闘と倒産経験、極道を頼っての東京での再出発。そして著者が最重要人物と目されたグリコ・森永事件の発生、やがておとずれる狂気じみたバブルの日々…。下巻では、カネを通して、侠とは何か、さらに人間とは何かをしみじみと考えさせられる。そしてまた、この50年が何であったのか、我々は何を失ったのかをあらためて考えさせられるだろう。