論考や純粋理性批判のような少なからぬ背景知識を必要とする書物は、多少哲学を知っていても解説なしで理解するのはなかなか大変だと思います。論考については、海外ではアンスコムやモウンス、C.ダイアモンドらの優れた研究がありますが、この本はそれらに比べても遜色なく我が国では疑いなく最良の論考研究書です。(尚、私は倫理や死についての野矢の主張をどう評価するべきか分かりませんので、以下の論述は論理、思考、言語についての野矢の主張に関するものに限ります。)<P>この本のテキスト上の特徴は、研究書としての厳密さを失うことなく非常に平易で簡潔に書かれていること。私見を最小限に抑え、テキストに忠実であるところです。解釈の面では、写像理論や論理のあり方などについて一般に広く知られている誤解を正し、論考を再評価します。<P>探求でウィトゲンシュタインが自身の論考を批判していることが手伝って、論考と探求を対極的な書物として読み、論考を不当に過小評価する人が多かったですし、今もそのように読む学者が多くいますが、この本は、石黒ひでと同様に、寧ろ、前期と後期は太いパイプで結ばれていると考えている点で新しい解釈に属するものです。その上で、論考の唯一の明白な欠点と思われるもの、それを放棄することによって中期の文法の概念へとウィトゲンシュタインを導く動因を作ったものとして野矢が挙げているのは、要素命題の独立性のテーゼです。それがなぜ問題であるかは、本書を読んでください。<P>この本は、もっぱら史実的関心に基づく、前期ウィトゲンシュタインの破棄されるベき書物に対する学究的研究というものではなく、寧ろ、その書物を最大限に再評価することによって、後期のウィトゲンシュタインの思索が如何なる重要な点において、論考の問題意識を受け継ぎ、それを進化させたものであるかを示唆するものだといえるでしょう。
野矢さん独自の解釈が面白い。<BR>論理空間の捉え方など目からウロコ!<BR>ウィトファンは絶対買うべきです。<BR>ただ『論考』の解説書ではなく、あくまで野矢さんのオリジナル。<BR>まったくの『論考』初心者には勧めません。<BR>(その分☆一つつけませんでした。内容そのものは五つ星)
この本の理解を深めるために、「現代思想」7月号収録の、著者の対談「私の成り立ち・他者の意味」を参照するとよいだろう。以下に、キーセンテンスを引用する。<P>「自分自身の場合でも、たしかに自分の論理空間はこれまで、子どもの頃からいまに至るまで、変化してきただろうと思っているんです(---)これはいくつかのポイントがあって、いちばん頻繁に起こる可能性を言うならば、出会っている対象の変化です。論理空間というのは経験に制約されているという、すごくおもしろい性格をもっているんですね。論理というのはまったく経験に制約されない性格を持っているんだけど、その、経験に制約されない論理と、それから経験に制約された私が出会った対象から、論理空間は成り立っている。その対象の配列をさらに組み合わせていって論理空間を作るわけですから。」