独自の文字を持つ事は大変に重要な事である。何故ならば、世界中には未だ音声言語のみで、記述言語を有たない物も多数存在するからだ。漢字は日本の宝である。昨今は漢字の出来ない日本人が多く、漢字が消滅して終わないかと危惧している。(モンゴルにもモンゴル独自のモンゴル文字と言うのが存在したが、ロシア系のキリル文字に成り代わって終っている。)漢字は平仮名よりも御茶を濁す事が少なく、大変に便利である。(『はし』→『嘴』『橋』『端』)今、日本人の識字率は十割であるが、恐らく仮名文字のみの数値であり、此の程度ならば日本語を学ぶ外国人でも直ぐに達する事が出来よう。然しながら、彼等が仮名文字を全て学習し終えた時、知識面では彼等と等しくなって終うのでは母語話者としての面子丸つぶれで在る。こんな時、漢字を一文字知ってるだけでも全然違う。今一度、国民一丸となっての漢語復古を考え直して戴きたく存ずる。
なんといっても字体が「教科書体」だから見やすいし、一般的な漢和辞典の「明朝体」と違い、どのように書いたらいいのかがわかり助かる。かつ、現代で使われている漢字を主に載せているから、超専門的な中国漢字や意味が書いてなくてよいです。一言でいえば、「辞典」というより「参考書」。高校や大学受験(漢文は除く)、漢検、日常生活まで使えると思います。
一先ず、表外読等で音に頼って解して居た漢字を意味で捉えられる様になる。私は意味で捉えられる事に因り、漢検準一級最高位は不合格Aとなったが、その後の準二級受験では目出度く優秀賞を頂戴した。漢字を意味で読める様になって居たので在る。準一級の漢字は難解な読みも多いので、理解にも更なる正確性が望まれる。恐らくは難しい事に取り組む事で、認知論的に脳が活性化され、結果下位級が簡単に思える様になったのだろう。こう言う事は日常しばしばあり得る事で、例えば空手にて言わば早い突や蹴に目慣らしして置くと、其後に来る遅めの攻撃が見切れる様になったり、運転にて言わば速い速度が出せる事に遅い速度への切替が出来る様になったりと、詰り筋力鍛錬で言う所の『負荷』を懸けた結果、其れより軽い物を改めて見ると心的に簡単に思えてしまう所謂催眠現象で在る。鍛錬で極限迄鍛えて二日間程オフにすると、超回復が為され、結果今迄以上の物が得られると言うが、是も同じ理窟で在ろう。此の辞書の評価としては取り敢えず五つ星としたが、敢えて注文をつけるならば漢音や呉音、唐音等の區別をして戴きたいのと、國字以外の物に対しては北京語、広東語、朝鮮読と言った物にも取り組んで戴きたい所では在る。より修行された続編の刊行を切に願う今日此の頃で在る。