尾崎秀実が、いかに優秀で正体を隠しながらとはいえ、なぜ、権力(近衛)に近づき得たのか長年釈然としないものを感じていました。著者が断じるように近衛が共産主義者であったとすれば、一番すっきりします。近衛が早く死んでしまっているので、どれだけ志操堅固な共産主義者で、どの程度謀略として意識的に戦争に導いていったかは、調べようもないと思われるのだが、少なくとも左翼シンパであるのは間違いない事実でしょう。なんら予備知識のない方が、本書を現在の感覚で眺めると俄かに信じがたいように感じるでしょうが、近衛時代の陸軍軍務局内には、転向者の幹部候補上がりの将校の配属が多くなったとの軍関係者の談話も存在し、マルクス・レーニン主義者の国策レベルへの恣意的な浸透工作は確実です。また、尾崎秀実がこうした軍部と繋がりがあったことも事実です(直接指導していた。)。(したがって、尾崎は情報提供者のような末端スパイでないことは、容易に推察できます。ゾルゲスパイ組織を単なる情報収集活動集団と捉えるのはやはり過小評価です。諜報謀略集団です。)ナチスや大政翼賛体制の全体主義が共産体制のコピーといえるほどそっくりなのは、ヒットラーが一時期共産党活動を行っていた事実や、近衛が京大で左翼思想にかぶれていたことに関係がないとは誰も言えないはずです。ソ連も革命の伝播・共産体制の防衛をかけてコミンテルンを中心に世界中で陰湿な謀略を仕掛けていた時代であり、その勢いは、最近の新興宗教に匹敵するようなものだったのではないでしょうか。(かの、ナベツネさんも若い頃、左翼思想にかぶれていたそうですし・・・あまり、関係ないか?)しかるにこうした歴史的事実は、長い間、一般に広く認識されていないか、または無視されているのが実情ではないでしょうか。なぜか?言わずもがな・・です。官僚・マスコミ・政界・財界に万遍なくどれだけ左翼シンパあるいは勢力がいることか・・!<BR>著者の全般的特徴として、左翼思想およびその勢力に関しては、徹底して拒絶し、潔癖であろうとし、表現が、時として過激になりとりつくしまもなくなるようなことがあるが、その背景には、本書の内容のような左翼思想が及ぼす恐るべき破壊行為を熟知しているからに他ならないと納得できます。私も決して認めたくないです。この本で疑いが確証に変わってから特に・・・。
小・中学校時代の授業や映画から頭に入った知識は自分でも知らない内にステレオタイプの常識を形成するようだ。53歳の私の記憶では、太平洋戦争の発端は日本の中国進出を嫌悪した米国による石油輸出の凍結であり、日本が止むを得ず石油を求めて東南アジアへ進出(南進)した、というものだ。<P>しかし、本書を読むとまったく逆ではないか。事情はもっと複雑だ。<P>つまり、“独ソ戦の勃発に際し、南進することで陸軍の主張する対ソ戦(北進)を放棄させてソ連を助け、昭和天皇の反対を無視してでも負けが分かっている対英米戦を仕掛ければ必ず日本は負ける筈であり、そうなれば敗戦後の日本に共産国を打ち立てることが容易になる。”というものであった。しかも、このシナリオを作り上げたのが、ヒトラー・スターリンを範としマルクス・レーニン主義に傾倒する近衛文麿首相であることを私は初めて知った。<P>本書によれば、日中戦争や太平洋戦争を引き起こした正確な歴史は、“軍が独走し、軍によって戦火が拡大し、そして軍の圧力によって、政府がそれに抵抗しながら遂に圧力に屈して、(軍事)予算をつけたり増税したりした訳ではなく、あくまで政府(近衛内閣)が軍より先走って、(軍事)予算をふんだんにつけ、積極的に増税をし、ためらう軍の尻をたたいて、あれよあれよと言う間に、その戦火拡大を誘導した。”ということになるらしい。<BR>しかし、それほどまでに恋い焦がれたソ連のKGBにより、近衛文麿の長男文隆がシベリア抑留中に拷問で死亡(1956年)し、抑留中の写真がエリツェンから近衛文麿の孫である細川護煕に渡されたというのは、歴史の皮肉としか言いようがない。
山本五十六の弾劾はともかく、「共産主義者・近衛文麿のヒトラー的野望」と言う話はそう突拍子もないものではない。大森実の「祖国革命工作」(昭56刊)には近衛の側近が尾崎秀実らコミンテルン関係者及び極左思想者で固められていたことが書かれている。支那事変の全面戦争への拡大を決定的にしたのが近衛文麿の「蒋政府を対手とせず」声明であることは明らかであるし、河上肇への傾倒や昭和天皇への「左翼であったことを悔いる」上奏は有名な話だ。ただし、私は近衛が本当に改心したと思っていた。尾崎秀実とゾルゲの「日本・アジア赤化計画」の詳細な説明には正直驚いている。<P>ソ連の後押しによる中共の画策で開始された支那事変、そして日本人共産主義者(しかも首相!)による全アジア共産化の戦争、それがあの『8年戦争』の本質であった。<P>しかし、中川氏の「英米の『恩』を仇で返した大東亜戦争」という解釈にはどうしても賛成できない。ハルノートがどうこう言う前に、米国はABCD包囲網を完成し日本を経済的窮地に立たせ戦争開始の一撃を打たせるための作戦行動を1940年10月既に開始していた。(「マッカラムの8項目」)<P>となれば作戦として先手必勝、敵に多大のダメージを与えておいて戦局優勢なうちに有利な講和条件で終戦、という手しか日本には無かったと思う。しかし、戦争を長引かせて日本を疲弊させるのが敵の目的であった。<P>「恩のある英米に戦争を仕掛けることだけはすべきでなかった」という氏の物言いでは、「アジアは英米蘭仏の植民地のままでよかった」と言う風にも聞こえる。「大東亜共栄圏」の理想が100%日本の本意で、覇権主義的野望が全く無かったとは言わないが、全くの嘘でもなかったことは歴史が証明している。本書の共産主義の暗躍に光を当てた功績は認めつつ、極端に「親英米」に傾斜している点には留意しながら読むべき。