スノッブすぎてちょっと辛いです。音楽を聴くよりも頭や文字で音楽を考える人には向いているかも知れませんが。ジャズの巨匠がこれを読んだら、「ま、どうでもいいんじゃない。それより自分の耳で聴けよ」と言われてしまいそうな位の情報量と理屈の嵐に、ジャズをインテリミュージック、スノッブの為の衣装として聴きすぎた、ふた昔前の日本をちょっと思い出してしまいました。
~著者らが「ジャズの歴史」を東大で講義した内容がそのまま記載されている。<BR>授業を受けているようにすんなりと理解できる。<BR>ジャズを実際に演奏しジャズ理論も理解し過去の作品を聴き込んできたひとたちだから書ける評論。<BR>モーツアルトから、ビバップ、モード。<BR>そして、MIDI、YMOまで、<BR>紹介される多くの名曲とミュージシャンにまつわる多彩なエピソード~~。<BR>コルトレーンは「Giant steps」をどう考えて作ったか。<BR>やっとわかった。<BR>好き嫌いの感想文をレトリックでもっともらしく綴ったジャズ評論に辟易としていたあなたに、お勧めです。~
語り口は、文章と同じように饒舌。本論からすぐに脱線するが、それも含めて菊地氏のエッセイと同様、心地よいグルーヴ感がある。但し、これは生理的な好き嫌いがあると思う。<BR>ただ、多くのジャズ評論家と呼ばれる人々が、曲やアルバムの「雰囲気」を、いかにレトリックを駆使して言語化し、プレイヤーの人生や彼らの人間関係の中にいかにうまく音楽を位置づけるかを競っているところ、菊地氏のアプローチは逆に、音楽史と文化史の中に、ジャズの音楽理論を位置づけようとする試み。<BR>ジャズにおいて、決して相容れることのなかった叙情的評論家とアカデミックな理論家をつなぐ存在として、本書は貴重だと思う。<BR>ジャズの理論書は多いが、本作はジャズメンの下世話なエピソードや、当時の思潮、文化的流行、さらにポップス等他の音楽のトレンドをジャズ理論の中に位置づけており、言及される固有名詞の幅広さが、音楽理論に通じていない学生に興味を持たせる強い理由になっているのだろう。<BR>特に本書の山場は、1959年に発売された歴史的なアルバム群を分析する箇所。そこでバップを極限まで進化させるコルトレーンと、バップを超えて次の音楽を模索するマイルスの、二人の音楽性の決定的な違いを解説する手際は鮮やか。<BR>菊地氏の音楽活動が、本書にあるような教養に裏打ちされたものであることを理解できることも興味深い。