脳内処理にタイムラグがあるという重要な実験です。
<br />この実験によって、脳科学者・神経科学者は自論を展開する際には、この実験を避けて通れなくなりました。
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<br />ただ、この実験で人の自由意志がなくなったわけでもありませんし、
<br />アントニオ・ダマシオ、V・S・ラマチャンドラン、ジョセフ・ルドゥーが最新知見に基づいて上手く説明しています。
<br />簡単にいえば、脳内は複雑なネットワークが張り巡らされているので、
<br />ネットワークを通過するためには時間がかかり、各処理において当然所要時間が異なるでしょう、ということです。
<br />逆にタイムラグのある各処理情報を同時だと認識している脳機能の方が素晴らしい、ということです。
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<br />この実験そのものに興味のある方は是非読まれたほうがいいと思いますが、
<br />脳科学全体を知りたい方には、実験年代が古いこと、実験が局所的なことから、
<br />特に読まなくてもいいと思います。
著者の発見の概要は,すでに多くの類書で言及されています。しかし,それらを発見者自身のことばで語ってくれる成書で,日本語で読めるものは今までありませんでした。著者の研究をもっと知りたいと願っていた者にとって,待ち望んでいた本でした。
<br /> 外界からの刺激に主観として「気付く」前に,脳はそれをとらえている。行動を起こそうと「思った」ときには,脳はすでに行動化に向けての活動を開始している。これらの「事実」を示されると,「私」という意識は,実は主体の座にいなかったのかと思われはじめ,「自分」という,あたりまえに感じられていたものが突然拠り所を失った感じがします。
<br /> 著者の研究の過程では,実験結果が隙なく組み立てられ,見事な構築物を造り上げているようです。そのため,著者の主張は圧倒的な説得力をもって迫ってきます。読後に世界の見え方が一変してしまう。しかもそれは,われわれが日々最も身近に経験している主観的体験に関わる驚きです。
<br /> さらに著者は,「意識を伴う精神場理論」という仮説を提唱します。全てを事実に語らせてきた著者が,未知の「場」という仮定を,説明のために導入するのに面食らいました。しかし著者は,この仮説は実験的に検証可能であるとし,その計画まで提示しています。その評価は今後の研究を待たねばならないのでしょうが,大きなブレークスルーがあるのかもしれません。
<br />主観的意識という,最もなじみのある,しかし最も謎に満ちた現象の理解が,新しい段階を迎えるかもしれない。本書を読了して,とても面白い時代に生きていると感じました。
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予期しない時刻にアラームを鳴らすため目覚まし時計の目盛を出鱈目にまわしてセットする。
<br />(もちろん眠らずに居るわけだが)すっかり忘れたころにアラームが鳴り、
<br />「ああ、そうだった。目覚ましを設定したのだった」
<br />と、500ミリ秒後に気づき、アラームを止める。・・・・
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<br /> さて、自由意志によって「何時とは知れない時間にアラームを鳴らす」という行為は達成された。
<br />このことと、任意のタイミングで手を動かすという行為が、どうつながるか。以下、リベット的な
<br />言葉遣いもまじえて説明を試みると・・・・
<br /> アウェアネスから見れば制御系エージェント(無意識の一角)はブラックボックスである。
<br />アウェアネスはただ単に制御系エージェントに「タイミングを指定した手の作動」もしくは
<br />「タイミングを指定しない手の作動」を依頼する(タイミングを指定されたほうが多くの制御を
<br />要するようである)。アウェアネスは作動準備完了のレスポンスを制御系エージェントから、
<br />あるいは別のエージェントから、実作動の200ミリ秒前に受け取る。
<br /> リベットの実験から言えることはこれだけである。虚心坦懐に眺めれば、自由意志云々というのは
<br />リベットのミスリーディングであり脚色にすぎない。現象としては何ら突飛なことは起きていない、
<br />リベットの解釈が突飛なだけである。
<br /> しかしながら本書は、たとえば上記のような事柄やその他にもいろいろと考えさせる、きわめて
<br />刺激的な記述に富んでおり、一読して損は無い。
<br /> ちなみに云えば、意識は完璧に無意識を統制しなければならないわけではないし、逆に、意識が
<br />無意識の奴隷に過ぎないという見方も短絡的であろう。
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