「クマムシ」という、あまり知られていなかった生物、その生態の詳細について記述した本書は、たろえばファーブルの昆虫記にも匹敵する作品かもしれない。しかし、ファーブルは様々な昆虫について膨大な観察記録を残した。そこでファーブルの研究は昆虫学から一歩階段を登って「生命」に言及する位置に達した。モノグラフ的な本シリーズで、それを著者に求めるのは酷かもしれなし。しかし「アフォーダンス」「愛は脳を活性化する」など、大きな世界へ読者をいざなう傑作も存在する。
<br />本書は流行にのった「無難な傑作」である。著者は自らの世界から普遍的な議論をする余裕のある人だと思う。私は今の生物学の「自己完結型志向」を憎む研究者である。本書が優れた観察の記載がありながらも、ウケ狙いに見えてしまうのは、やはり、観察から考察への展開は不足していたためであろうと考える。次の著作で本書を超える事を期待してあえてきつい評価とする。
クマムシはその仲間だけでひとつの動物門をなす無脊椎動物である。確かに著者の言うように見た目も可愛いし、魅力たっぷりな動き方もする。また「世界最強の動物」なんていう話題性にも事欠かない。しかし、この本はそれだけの「奇妙な動物ショーケース」ではない。著者は研究者であり、この本に書かれていることは実際のデータ、過去の研究知見に基づくもので、いい加減な見聞によるところがない。挿絵ひとつにしても、全て出典が明らかにされておりアクセスを可能にしている。そして話は実際のクマムシの観察法にも及び、広い範囲の読者に微小生物の研究のおもしろさを教えてくれる。そういうことこそが本来の「啓蒙」というものだろう。できれば次は、ここで割愛されたクマムシの分子生物学について突っ込んだ著作をものしてほしい。こういう小生物群の研究の意味を知ることができず、無用呼ばわりすることを無教養というのである。
科学が実学のみ志向するのは誤りだと思う。ファラデーじゃないが、電磁気学も最初は遊びだった。しかしその科学の幼児は今や人類に不可欠な伴侶になってる。それを不快と思う人もそれから離れられない。今、広大な科学の世界に道標を立ててくれる専門家が必要だ。個人的な思い入れにすぎないが、「岩波科学ライブラリー」は著者の選考に贅沢をして千円以上する100頁の本を出版してきた。貧しい学生時代、歳がわかるが「岩波文庫☆1つ」を買いあさっていた。
<br />このシリーズでは流行を追って欲しくない。安直な構成もいらない。百年後の人類のために、浅学の身がなにをすべきか、方向をしめすような本が欲しい。ヌイグルミのオマケ付きなんて情けないことをしないと売れない本なら、出さないで欲しい。岩波書店の方々は、あの気高い岩波新書の「宣言」を忘れられたか。
<br />クマムシ研究が無益と言うのも短慮だろう。今西錦司博士はカゲロウの生態から今西進化論を建てられた。しかし本書にそういう遥か見晴らす視点は見出せない。