「茶の本」というタイトルは、とくに若者にとって魅力的なものではない。かく言う私も高校時代に今は亡き教師から熱弁をふるわれたが、このタイトルではどうもピンと来なかったという記憶がある。
<br />本書『茶の本』は、茶の本ではない。欧米人に日本文化を理解させるためには、まず彼らの気を惹かねばならない、そのためにとられた戦略からこのタイトルとなったと思われる。これは決して茶の本ではないのである。
<br />本書は東洋の美意識、わけても日本の空間的美意識の奥深さを伝えて余すところがない。これは天心の同時代人である漱石の、とくに『草枕』に通ずる美意識でもある(すみません、この指摘は、ちくま新書『法隆寺の謎を解く』の終章、「日本文化の原点に向かって」のなかでで武澤秀一さんがいっていることの引用です)。
<br />西洋化とのあいだでゆれた明治時代、これほどまでに東洋、日本の文化価値を知りぬき、そして主張した真の国際人の声に、まずは謙虚に耳を傾けたい。批判・批評はその後でいい。
岡倉天心が茶の人生哲学を説いた本.<br>原書は英文で書かれている.<br>西洋人に,お茶という題材を使って,日本文化を紹介するのが目的だったようだ.<br>だから,お茶周辺の日本文化をざっと総括したような印象を受ける.<p>お茶の起源,入れ方の薀蓄から始まり,<br>お茶と道教,お茶と禅の関係を説明,<br>お茶の芸術性について論じている.<p>もっとお茶について突っ込んだ説明があってもよさそうなものだが…….<br>第六章「花」は,お茶とは関係ない,ほとんど叙事詩.<p>花伝書が能をやる人のバイブルなら,<br>この本は,お茶をやる人のバイブルかな.
日本を含むアジアが欧米から見下されていた前世紀初頭、東洋の意気込みや素晴らしさを知らしめるために、岡倉覚三(天心)がボストンにおいて英語で執筆した本。欧米においても盛んである喫茶文化を、発祥の地である中国までさかのぼり、その背景にある道教および禅宗の精神を説くとともに、それらが海を渡り花開いた日本の茶道に込められた日本人の心をも伝える。もともと欧米人向けに書かれた本であったが、皮肉なことに今では日本人にとっても勉強になる本である。