なぜ彼らが若い命を捨てなければならなかったのか、ナショナリズム、保守化の風潮中で貴重な本である。改竄の噂を意図的に流す人々がいるのは残念である。たとえ改竄があったとしても彼らが、志半ばで死んでいった事実は消せない。残された遺族の嘆きを思うと心が痛む。彼らのほかに遺書も残せず死んだ人、いいなずけを残して死んだ人など多くの悲劇が有ったことを忘れてはならない。巻末の経歴は個人情報保護法に引っかかるのでは?
この本は、あとがきにも書かれてあるとおり「反戦・平和」に力点を置いて編集されており、遺稿の取捨選択もそのような観点からなされています。そのため「平和主義的な学生の遺稿が取り上げられ、当時一般的だった軍国主義的な学生の遺稿が取り上げられていない」というような批判もあります。
<br />ですが、(このような意見にも一理あるとしても)そのような批判が先に立つことでこの本の純粋な価値が見失われてしまうとしたら、それはあまりにも残念なことです。
<br />「当時の戦争一色の空気の中で、そうあるべきと育てられた子供たちの中にも、こんな風に考える学生たちもいたのだ」という事実を知ること。彼らの言葉からその奥の「想い」を素直に感じとること。そして戦争について、平和について、ちゃんと向き合い考えてみること。それが本当に大切なことなのではないでしょうか。
<br />そしてこの本ほどそれにふさわしい本はないと、私は思います。
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<br />61年前の彼らの「こえ」を、どうか皆さんも自分自身の耳で聴いてみてください。
この本の出版については、内部紛争や政治的な判断で、正しく伝わっていない部分があったのは悲しい話しである。
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<br /> 戦争を肯定するつもりもないし、賛美するつもりもない。
<br /> しかし、生まれた時期の幸・不幸によって、心ならずも戦争に参加さざるを得なかった人たちは、歴史には何千万人もいるのであろう。
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<br /> そういう人たちと、「戦争を知らない子供たち」を単純に比較してはならない。意に反して「殺人」に向かう人たちの心を捉えなければ、昭和の歴史認識の是非など判断できないであろう。