歴史・宗教・民族。これらはすべて琴線に素手で触れてしまう危うさを秘めているため、どうしても扱いにくいと思うのは、小生だけではあるまい。ことに「歴史」という言葉を目にする時、その意味は、「事実」、「まつわる感情」、「歴史という名の履歴の見方」等々、完全にとは言わぬまでも、分割すべきものが、ないまぜとなっている気がする。本書は、小生が示したもののうち、「歴史という名の履歴の見方」つまり「歴史哲学」について再考を促す書物である。
<br /> 著者E・H・カーは、1962年の本作出版時、トリニティ・カレッジのフェローであった。この著作はケンブリッジで1961年に行われた連続講演を基に仕立て上げられたもので、とても読みやすく、問題点がよく分かり、また原注も丁寧である。
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<br /> 著者のスタンス(視点)は、あくまで冷静・穏健でありながら厳しい。それは『歴史を研究する前に、歴史家を研究してください』そのためには『歴史家の歴史的および社会的環境を研究して下さい』という主張に現れている。つまり、歴史は、歴史家を通じて届けられる『社会的産物』(3点とも同書p61より)であることに注意せよ、という事で、まさにこの点を意識しつつ、目次に掲げられた6項目について述べているのである。
<br /> 歴史哲学というと、へ―ゲルなどに見られる「史観」という看板のもとに、ややもすると、強引な押し売りが目に付くが、本書は、たとえそのような事が後に明らかになったと仮定しても、極めて地に足のついた秀作であると、小生は感じた。
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<br />よって推薦したい。
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<br />なお現代においてのスタンスは、『岩波講座 世界歴史 第一巻』に手際よくまとめられているので、こちらも参考になる。
「歴史とは何か」と素朴な疑問を持った人が始めに読むといいと思います。これからも繰り返し読むべき古典です。
<br /> 歴史は解釈するもので、進歩するもので、科学であり、歴史家が作り出すもので、過去と未来を結合するもので、等であり、過去の客観的な事実と法則に基づいて説明され、未来を取り扱わないものではない。と記されている。
E.H. Carr自身が語り、投げかける議論について「名著」と評価される事に異論は一切ありません。
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<br />が、この日本語の難解さ、あやふやさは一体何だ。
<br />決して誤訳でもなければ「ひどい」翻訳なわけでもない。
<br />ただ、不必要に難解なのだ。
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<br />日本語で読み、いまいち内容を掴み損ねた時にはこの訳本を参照しつつ、原著に当たってみる事をお薦めします。
<br />語学が苦手で仕方がないという方でなければ、寧ろ日本語より理解しやすい事が多々あるのでなないかと思います。