1949年に生まれ、UCLA大学院に留学し、嘱託として東京ディズニーランド建設に関与した文化人類学者(最初はディズニーランドに幻滅)が、1990年に刊行した本。1955年カリフォルニアに開園したディズニーランドは、ウォルト・ディズニー(生前既に半ば伝説化)が過酷な自然・家庭環境の中で過ごした少年時代の陰画であり、それ故に周囲の反対を押し切り、テレビ局に強引な要求を突きつけながら実現させた、「あらゆる世代の子どもが楽しめる」安全で清潔な夢の国であった。それは未来・御伽噺・西部開拓・「未開地」探検(オリエンタリズム!)を題材とし、周囲の現実世界から完全に隔離され、彼が映画制作で学んだ技術の全てを三次元に応用したテーマパークであり、しかも常に変化する「生き物」であるとされた。オーディオ・アニマトロニクスの開発による1964年のニューヨーク世界博での成功は、ディズニーの国民的名声を確固たるものとし、大企業と提携した大型設備の増設を可能ならしめ、第二期の始まりを告げた。そこでは、現実以上に現実らしい擬似世界が繰り広げられ、むしろ現実の側が虚構を真似る傾向を生み出しつつある。1966年のウォルトの死(冷凍による生存説もあるが)後の第三期にも、ディズニーランドは成長を続け、1971年にはフロリダ州オーランド(より巨大・愛国的で、限定的な「主権」を有するウォルト・ディズニー・ワールド)に、1983年には千葉県浦安市(東京ディズニーランド)に、また賛否の分かれる中、1990年代にはパリ郊外(限定的な「主権」を有するユーロ・ディズニーランド)にも進出する。1980年代、外部から参入した若い経営陣の下で第四期を迎えつつあるディズニーランドは、アメリカ精神(やや一体のものと見すぎか)のエッセンスとして既にアメリカの一種の「聖地」と化している。主に経営側の立場からの鋭い分析。
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東京で勤務していた時、南行徳に住み、すぐ隣の新浦安の仕事をしていたにも係わらず、ディズニーランドには行きませんでした。
<br />結婚して仕方なく妻と行きました。その後、子供達にせがまれて行きました。
<br />私はひねくれ者です。あそこに一歩入ると、みんな「良い人」になるのがおぞましいのです。それがディズニーの魔法ですか?
<br />では一歩外にでたとたん、電車の席を取り合う姿。あ〜気持が悪い。
<br />アナハイムのディズニーランドとユニバーサルスタジオ両方行きました。気がついたことがあります。
<br />ユニバーサルスタジオにはアフリカ系アメリカ人はほとんどいませんでした。ディズニーランドには大勢いました。
<br />なぜだろう?私見ですが、家族で一日遊べば結構な金額です。
<br />それでは行くのならディズニーランドとなるのでしょう。夜の10時過ぎに眠った子供を抱えて、
<br />ミッキーの帽子をかぶって嬉しそうなアフリカ系のおじさんを見て、
<br />「あ〜ユニバーサルはエンターティメントで、ディズニーランドは聖地なんだ」と思ったものです。
<br />アメリカとディズニーのおぞましさを解剖してくれる本です。
本書はディズニーランドの生い立ち・成り立ちの分析を通じて、
<br />アメリカとアメリカ人のメンタリティ、
<br />さらには現代資本主義社会の病理までもえぐり出す名著です。
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<br />入口ではミッキーマウスが楽しくエスコートしてくれますが、
<br />アメリカ史を横目にウォルト・ディズニーの頭の中を巡る中盤、
<br />そしてウォルトの死後、ディズニー・ワールドの垣間見せる管理社会ぶり、
<br />さらに浦安・パリへと拡大していく「ディズニーランド」…。
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<br />それらに昨今の無邪気なアメリカ型グローバリゼーションを重ね合わせていくと、
<br />出口付近では若干気持ち悪くなってしまう、
<br />そんなジェットコースターに乗せられた気分です。
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<br />小著かつ15年以上前に書かれたものですが、
<br />折に触れて読み返して、
<br />そこにちりばめられている問題意識を確認したいと思いました。
<br />最近読んだ中では最も知人に薦めたい本です。
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