どんな学問分野であっても、入門書を書くことは難しい。
<br />それはまず、基本のコンセプトを分かりやすい語彙や概念によって伝えることの困難にある。
<br />さらに、その学問の創始者が抱えていた情熱と、彼らが同時に自ら(の学問)に課した射程の限界を同時に伝えることの困難がある。
<br />後者は前者よりもさらに困難である。
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<br />本書は、その後者に力点を置いた「入門書」であると言えよう。
<br />そのため、決して理解しやすい入門書であるとは言えない。
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<br />かって清水幾太郎は同じタイトルの『社会学入門』という本の中で、「ひとつの学問を学び始める時に、人は人生を始めるのだ」と書いた。
<br />この見田の著作は、社会について・人について・時代について・生と死について不磨の好奇心と探究心を持ち続ける、将に人生を始めようとする人のために書かれた「入門書」である。
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<br />見田のこれまでの学問遍歴を見てみると面白い。
<br />『現代社会の存立構造』に代表される、硬質な理論書を著していた初期。
<br />『気流の鳴る音』に代表される、比較社会学の分野に踏み出した中期。
<br />そしてそれらの遍歴を踏まえて、『自我の起源』、『現代社会の理論』が著された後期。
<br />こうした学問の遍歴をへた彼が今、『社会学入門』というタイトルの著作を著すことは、一読者として感慨深い。
読後、胸が震えるほどの感動をもたらす本は珍しくないが、大学のテキストで涙に目がにじむ体験ができることなど滅多に経験できるものではない。しかも、扇情的な言葉を並べることによってでなく、事実と明晰な論理の積み重ねによって感動を引き出すことができる人は希有である。
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<br />著者は、今までも読者の感性と好奇心を挑発し続けてきた。透徹した明晰な論理、自らの体験と感性に基づく実感に満ちた言葉を使って。そして、それはこの「入門書」においても変わらない。ともすれば、新しい述語や概念を用いた無味乾燥な解説だけが「入門書」として世の中に送り出されてきたが、著者はあくまでも読者のイメージを喚起し、実感に訴える言葉と論理を用いて「社会学」を突き抜けた「人として生きることの意味」を問いかけている。それが彼の著作の魅力である。同時に「社会学の入門書でなく、見田宗介の入門書と言うべき著作である」との感想を抱かせる理由にもなっている。
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・言わずとしれた社会学の泰斗による社会学入門書だが、
<br />見田氏自身の問題関心の展開(〈死とニヒリズムの問題系〉と
<br />〈愛とエゴイズムの問題系〉と論じられている)が示され、
<br />単なる「入門書」以上のものとして、興味深い内容となっている。
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<br />・本書の結論部分では、「社会」を、「交響するコミューン・
<br />の・自由な連合(Liberal Association of Symphonic Communes)」)
<br />として構想すること、すなわち、「ルール圏」(社会の全域を覆う
<br />他者)の上に「コミューン圏」(充実した生に必要不可欠な他者)が
<br />構築されるものとして提示されている。
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<br />・興味深いのは、こうした構想が、若手の社会学研究者
<br />(大澤真幸、東浩紀、宮台真司など)の議論と共鳴している
<br />(ように読める)、という点である。宮台氏などは、見田氏の
<br />弟子を自認しているが、そうした若手研究者の議論などを想定して
<br />読むこともできる。大学教育で社会学を専攻するもののみならず、
<br />広く読まれるべき社会学の良書の一冊であると思う。
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