日本に馴染みの深いフランシスコザビエルの軌跡を訪ねると言う趣向の紀行文。
<br />確かに、スペイン人に聞いてもバスクは一つの言語、人種、風土を持つ独立した国だそうです。司馬氏の独特な史観が窺えてこのシリーズでは、面白い読み物になっています。
<br />南蛮は、ここに書かれている物だけではないのにと言うのが、正直な感想です。
本作ではフランシスコ・ザビエルの軌跡を追いながらバスクを訪ねている。私たちは自分の存在を確認するときに「国」の中の国民であることがごく当たり前になっているが、決してもそれがスタンダードではないということを本作を通してあらためてつきつけられた。古来ピレネー山脈の両麓に住むバスク人は独立した文化、言語をもちつつバスク国を持たない。そんな彼らの大らかさが絶対的な統一をもたらさんとする国(政権)が登場したときにはじめてその帰属する少数の文化に自己同一性を求めはじめる。そこにあるのは国があって国民があるのではなく、元来「ひと」がそこにいて、集まって国をつくるという本来の姿である。司馬氏は少数者たるバスクの姿を通して、現在登場している各地での民族の自立の声を�!��くも危惧し、その先にある世界観をここでは提示している。私たちと馴染みの深いザビエルを追う本作の中でとても心地よい発見の旅を体感できるとともに、現在の世界の状況を照らして厳しいテーマを投げかけられた気がした。
アンダルシアやカタルーニャが突出して注目されるスペインであるが、新旧カスティリア、エストゥレマドゥーラ、北部などもそれぞれ重層的な歴史と文化を持っている。本書はバスク、ザビエルという切り口からスペインを描いた旅行記であり、通り一遍のスペイン観をいきなりうち砕いてくれる導入部が秀逸である。<p> 著者はパリ、カルチェ・ラタンから旅行記を始める。何故ならばこの地がサンティアゴ巡礼の起点のひとつであり、また聖フランシスコ・ザビエルと聖イグナシオ・ロヨラが神学を学んだ街でもあるからなのだ。ここから著者は緑のスペインに飛び、バスクというかなり異質なスペインの解釈に取り組む。<p> 著者は冷静で客観的な視点を保ちつつ、随所に語る対象への思いやちょっとした心の動きを�!��し挟むというスタイルを堅持しており、多くの旅行記が旅行地への過剰な思い入れと礼賛にまみれてみたり、あるいは旅行記といいつつ延々と自分語りを繰り広げてみたりという罠にはまっているのに比べると極めて好印象である。<p> 本書の下巻、また堀田善衛の諸著作を併読することを強くお奨めする。