1954年生まれのレビュワーにとっては、「ベトナム戦争」として報じられる戦況の後半部分に意識があるが、前半は、正直言うと「なんでアメリカがあんなところで戦争してるの?」という感じであった。
<br /> 世の中には、アメリカに留学した小田実さんらの「ベ平連」が盛んにデモをしているのが思い出される。
<br /> この時点で、私の知る開高健さんは、山口瞳さんの先輩で、魚釣りの好きな人、お酒を飲む大食漢でしかなかった。この人が何ゆえにベトナムまで行くのかは、中学生の小生には理解不能であった。
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<br /> 高校になって読み、大学になって読み、社会人になって読んだ時にベトナム戦争の帰趨とか、その後のカンボジアの情勢や更には共産国家の終焉などの様々な別の情報が入っていて、彼の文章は素直に受け入れられなかった。
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<br /> しかし・・・・ここから怒られるかもしれないけれど、ひょっとして、開高健さんは、「文豪」とか「社会評論」とかのややこしいことではなく、『ライズ』のくりかえされる浅瀬にフライを飛ばすフライフィッシングの場所としてとらえたのではないかと思えてきた。命がけのフライの操作ではあったが。
<br /> そう考えると妙に分かりやすいのですが、いかがでしょう?
開高大魔王の1960年代のベトナム戦争の記録だが、今読んでも、まったく古びていない。アメリカ=悪、解放戦線=正義、とのステレオ・タイプの当時の「定説」にも組みしていない。声高に「スローガン」を叫ぶむなしさを知った開高大魔王と凡百の作家、たとえば小田実などとの違いがそこにある。現場では「戦場」を語っても「戦争」は語れない、と、諦観した大魔王の戦場の観察ぶりを見よ。ベトナム戦争の最上の記録の一つでもある。もちろん独特の大魔王の文体「開高節」の完成度は他のエッセイ、小説と変わらない。(松本敏之)
ベトナム戦記を読みおえて、もっとも印象に残るのは、あの文豪・開高健が、必死に平静を保とうとしている努力を窺い知ることである。私は、阪神大震災を味わったが、不意にあのような震災に見舞われると、我々の執る行動は、「いつもと変わらぬ」ように動こうとすることを知った。吹っ飛ばされたいつもの日常に戻して、落ち着こうとする心理が働くのだろうか。このベトナム戦記を語る開高健の語り口から、「戦場の凄まじさ」が逆に伝わってくる。哲学的で難解な表現でも知られる著者が、平易なストレートな文章で事態を伝えてくる。後に「枯葉作戦」と呼ばれ、ダイオキシン後遺症の悲惨さが伝えられた作戦に出くわす場面も興味深い。また、この頃既に、この戦争の矛盾に迫ろうとする姿勢にも文学者としての精神が感じられる。このベトナム戦記を、私はとても重要な作品だと思っている。