最晩年の対談集。
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<br />彼の言わんとするところは、今までと変わらない。だが対談相手は、聞き込んだり、うまく意思が疎通できなかったりと決して全てがうまくいってはいない。
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<br />私達の抱える問題を、洞察によって先見として見抜いていた司馬。そして対談相手は今も生きていて社会に対して関わっている。
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<br />この遺産を大事にしなければいけない。
司馬と田中直毅、宮崎駿、大前研一ら6人の著名人との対談録である。司馬の死後ちょうど1年、1997年2月に単行本として出版された。本書はその文庫版である。
<br />死の直前の対談が3本収録されており、最後のものは1996年2月6日。この一週間後に腹部大動脈瘤破裂で急逝した。まさに遺言といってよいだろう。
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<br />大前研一との対談はことに興味深かった。筆者は大前も司馬も好きだが、話がこれほどかみ合わない対談もない。
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<br />司馬の関心は、日本人とはなにか、ということにあった。だから千数百年に及ぶ時間の地層を掘り返して証拠を見つけてはピースをはめていくようにして「日本人」というジグソーパズルを作っていった。一方、大前の関心は、日本に理想の社会を実現したい、ということにある。だから具体的な処方箋を書く。解決するのは今の問題だから、歴史を掘り返しても仕方ない。
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<br />土地問題、米問題での議論は、だから大前の独壇場である。ここまで司馬が頼りなく感じられたことはない。しかし、と思う。「理想の社会」とは何か。大前が目指す理想の日本はいったいどんな日本なのか。論理的正しさ、経済的合理性だけでは答えはでない。文明、文化、思想への理解が必ず必要になる。司馬の立つ位置はまさに、そこにある。
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<br />昨今話題に上っている大前の「道州制」にしても、司馬の「日本には明治になるまで国家はなかった、ただ地方がいくつもあっただけで、日本人には強力な中央集権国家よりも地域国家のゆるい連合のほうが性にあっている」という歴史への理解、史観がなければ、ただの思い付きでしかない。
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<br />豊かさの影で荒廃しつつある心、国土。司馬は晩年、歴史から現代日本を俯瞰し、警鐘をならした。司馬が逝って10年、問題は解決するどころかより深刻さを増している。司馬は草葉の陰で嘆いているに違いない。
対談集だから少し読みにくいけれど、興味深い話もたくさんありました。土地の話、琵琶湖の水質の話など、司馬遼太郎はこんなことを考えながら生きていたんだ、と考えさせられることがたくさんあります。